狩野川を再び渡って沼津港を横目にしばらく進むと、大きな水門が現れます。これがびゅうおと呼ばれるものです。
びゅうおは大型展望施設を兼ねた水門となっており、9年の年月を掛け、2004年に整備されました。東海・東南海・南海沖地震のような将来起こりうる巨大地震も含め、大きな地震が発生した時には水門が自動で落下するように設計されています。
この日はあいにくの天気でしたけど、それでもこのような景色を見られます。周囲に高い建物が無いので、結構見開けているんですよね。
ゴール付近になる千里浜を見てみましょう。
・・・雨のせいで霧が掛かったようになっていて、ほぼほぼ見えない(泣)。
なお、晴れた時なら、このような景色になっております(ニヤニヤ)。<「ブラタモリ」のような用意周到さだな。
帰り道、何だか気になる碑があったので、立ち寄ってみると・・・。おお。こんなところに杉原千畝さんの足跡が。
こちらは、「命のビザ・杉原千畝夫妻顕彰碑」というもので、2020年に設置されました。
しかし、何でここに設置されたのかと調べてみたら、奥さんの幸子さんが沼津生まれなのだそうな。奥さんのゆかりの地だったんですね。
そんなびゅうおや「命のビザ・杉原千畝夫妻顕彰碑」のある港口公園がチェックポイントの一つになっていました。
この他にも、詩人で政治家の勝田香月の記念碑や日本の童謡の父と称される本居長世の記念碑もあります。
港口公園にある信号を渡って、少し道なりに進むと、人工的な山が現れます。こちらもチェックポイントの一つになっていた津波避難施設築山です。びゅうお同様、緊急時の避難先になっています。
実際に頂上まで登ってみました。やや狭いので、大勢の人が来るとキツいかなぁ・・・。
正面に見えるのが、びゅうおですね。
津波避難施設築山から数百m数むとチェックポイントになる若山牧水記念館に到着します。
若山牧水は、明治・大正に掛けて活躍した歌人で、多くの歌を全国に残しています。というのも、元来の旅好きで、当時はまだまだ高かったであろう鉄道での旅行をこよなく愛した人でもあるそうです。また酒好きでもあったそうで、それが祟って早逝してしまいます。
宮崎県出身なのに、沼津に記念館があるのは、沼津の自然と千本浜に魅入られたからと言われています。千本浜の伐採が行われることが発表された時は、前面に出て反対運動を支援したそうです。
こちらは若い頃と思しき写真。ウィキに載っているものとは少々趣が違うのぉ。いがぐり頭にひげを生やしているのは一緒だけど。
この後は、千里浜をひたすら歩きました(泣)。
・・・そう言いたくなるほど、ず~っと何にもない道を波の音を聞きながら歩くだけでしたから。ここが最後のチェックポイントでもありました。
途中Aquosのメンバー紹介があり、それがどのくらい歩いたかを示すマイルストーンのようなものになっていましたね。
そして千本浜の名前の通り、松の木が植わっているところもありました(正確には歩道の右側に植わっている松林を指す)。なお、千本松原というのが正式な名称なんだそうで。
片浜駅近くをうねうねと歩いていると、ゴールの片浜駅が見えてきました。
ここでEX予約をした証明になる三島駅着の利用票を見せると、クリアファイルが頂けるのです。朝早く行くためにどうしても・・・というのもあったんですけど、コイツを頂くチャンスならばとEX予約に切り替えたんですね。
裏面は、伊豆箱根鉄道のイラストに。これは恐らく次回のさわやかウォーキングでも使いまわすな(ニヤニヤ)。
この後、特別展を見に沼津駅ナカのアントレに行き、丁度お昼を頂くにはいい時間だなということもあり、お昼ご飯を買うのでした。