2024年10月23日

秋に東北に行く2024③

KYG03_20241005_113004758苕野神社から徒歩で10分弱、請戸地区にある震災以降の一つ、請戸小学校にやって来ました。



KYG03_20241005_113023100請戸小学校は、海から300mほどだったため、東日本大震災で津波の影響を受けただけでなく、東京電力福島第一原発の放射線事故に伴い、避難を余儀なくされました。そして6年近く帰れないまま時は流れ、2017年に避難指示が解除されたことで、一部ですが、やっと復興への一歩を踏み出したのです。残念ながら、請戸小学校は統廃合されることになったものの、震災遺構として2021年に再出発することになりました。



KYG03_20241005_114904145校内には、絵本による説明書きがなされています。
この説明書きをまとめた絵本が、この小学校で販売されているそうです。恐らく書店でも手に入るのではないのでしょうか。



KYG03_20241005_1149437411階にあった2年生教室。教室内に壁が倒れていますけれども、震災当時は津波の影響で、教室から廊下に向けて倒れていたそうです。



KYG03_20241005_115018037津波の影響は、隣の教室にも大きく表れています。壁の鉄骨が逆くの字(南側から北側)に曲がっています。



KYG03_20241005_115056378こちらは、職員室にあった複合盤各室内の時計や火災報知を管理していたものだったのですけど、津波の影響で流されてしまい、機能を停止してしまいました。そのため校内の時計は、津波が到達したとされる15時37分を指したまま止まっているのです。



KYG03_20241005_115153772網の向こうに見えるのは、校長室にあった金庫。重厚なこの金庫も、津波によって倒されてしまいました。
この金庫の中身が取り出されたのは、避難指示が解除された2016年2月末で、中に入っていた書類は水は含んでいたものの無事で、校内の展示室に掲載されています。
なお、金庫そのものは、海風・風雨や時間の経過に伴い、真っ黒にさび付いてしまい、いつ朽ち果ててもおかしくない状況です。



KYG03_20241005_115239345こちらは、ランチルーム。全生徒が昼食を食べていたところです。



KYG03_20241005_115359478その奥にあったのが、調理室。この小学校だけでなく、他の小中学校の給食を調理していたようです。
津波の影響で、北側の方に調理器具が流されています。



KYG03_20241005_115454200反対側に回ってくると、その数の多さ・すさまじさがよくわかります。
しかしながら、南側にあった調理器具は津波の影響は全く受けず、震災当時のままきれいに並べられた状態だったそうです。



KYG03_20241005_115432273震災当時の避難ルート。
当時は、1年生以外の全生徒(82名)が残っており、地震が起こった直後に避難を決定し、大平山に向かったそうです。その後、避難所に向かうことを決め、下山した時に偶然通りかかったいわき市からやって来たトラックの荷台に全員乗せられて、無事避難できたそうです。



KYG03_20241005_115435047大平山に登ることができたのは、児童が野球の練習で山に登るルートを覚えていたからだそうです。この子がいなければ、山に登れず、津波に飲まれていたかもしれません。



KYG03_20241005_115702098こちらは体育館。
この日は、3/20に行われる予定だった卒業式と修了式の準備が行われておりました。しかし、地震が起こってから、放射能事故が起こったこともあり、長いこと戻ってくることも無かったため、そのままの状態になって放置されていました。
ここから見る分には、何も無かったかのように思えますけれども、床下を見ると、盛り上がったり穴が開いたりと悲惨な状況になっています。



KYG03_20241005_120034006こちらは見晴らし台。ここから見える景色は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。
ここには、津波の押し寄せた高さを示す津波到達点が設置されています。



KYG03_20241005_120123088この津波到達点は、2階に上る途中にも設置されています。つまり、この校舎は、1階は全て浸水したという意味でもあります。
この津波到達点は、3年生教室入口にも設置されています。入る直前に見えるので、そのインパクトは絶大でしょう。



KYG03_20241005_1201596512階は、一部のみ公開されており、家庭科室より西側は非公開となっています。



KYG03_20241005_121728508こちらは、模型復元プロジェクトで作られた請戸地区
これを見ると、かつての町は、ごく普通の田舎町だったんだなと感じました。



KYG03_20241005_1220362316年生教室には、メッセージの掛かれた黒板が残されています。
この黒板は、行方不明者の捜索に当たっていた関係者の方々の激励が書き込まれたのが最初で、その後一時立ち寄りができるようになった卒業生や住民による書き込みも増えていきましたが、避難指示解除に伴い、来校記念の書き込みも増えたことから、2016年2月に回収されることになりました。



KYG03_20241005_122222040小学校の北側にあるのが、先人の丘と呼ばれるところ。かつて共同墓地があったところです。
津波の影響で壊滅的な被害が出たため、墓地は大平山に新しい墓地(霊園)を作って移転されました。この霊園は、苕野神社に行く途中に見掛けましたね。



KYG03_20241005_122341595玄関に当たる部分にある請戸地区の地図。



やはり、どこの震災遺構もそうですけど、地震の影響と津波の影響が色濃く残っているのがよくわかります。同じような被災であっても、場所によってドラマが違うんです。そこで起こった出来事は似て非なるものなのだと痛感させられます。ただ、対策は一緒津波が来たら、すぐに逃げる。ただ、それだけなんですけど、非常に重要なんです。


そんなことを思いながら、次の目的地に向かいます。そのあたりは次回。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58│Comments(0) とっくしゅ~で~す | 真面目なモノ

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