こちら、名鉄の金山駅に貼られていたサステナブルを推進するポスター。JRグループ・日本民間鉄道協会・日本地下鉄協会が手掛けるキャンペーン(PR)です。鉄道にすれば、自動車(127g-CO2/人km)や飛行機(94g-CO2/人km)に比べて二酸化炭素の排出量が1/5以下((17g-CO2/人km))になるのだそうな。だから皆、鉄道にしようよ、鉄道に乗ろうよと訴えたいのでしょう。
・・・しかし、待ってほしい。この問いかけに私はツッコミたい。
まず乗ってほしいなら、運行本数を増やして、快適に乗れるようにしてほしい。運行本数を増やして、飛行機じゃないと困る・自動車じゃないと困る事態を無くすようにしてほしい。そうじゃなければ、この訴えも意味が無い。え、運転手が足りない?え、自動運転が実証されたらねって?だったら、乗ってくれ言うんじゃないよ。
そして、定時運行を守ってから言ってほしい。特に名鉄は公式サイトで15分以上の遅れじゃないと同サイトにアナウンスしないという逃げっぷり。数分遅れはしょっちゅうで、5分ほどの遅れもしばしば。定時運行ができるのが日本の鉄道のいいところを見事に打ち消してくれます。そんな信用ならないと思われるような鉄道に乗りたいという人は、特に地方になればなるほど強まるだろうね。なお、飛行機が定時運航できるのは、出発前に通らないといけない保安検査には締め切り時間があるからなんですね。
さらに、昨今ローカル線を中心に廃線が相次いでいますけど、この訴えだと、その廃線を止めてでも推進しないとということなんですかね?だったら廃線待ったなしの芸備線は鉄路維持、BRTに変更予定の美祢線は鉄路復活に動くという意味でよろしいんでしょうかね?
結局、できもしないのに鉄道に乗ってと言うのは、虫がよ過ぎるんじゃないのと言いたくなります。即刻剥がしてほしいわい。
沖縄に来て、まず最初に行ったのは、沖縄県糸満市、ひめゆりの塔のあるひめゆり平和祈念資料館。
その後、同じ市にある沖縄県平和祈念資料館に行ってきました。八重瀬町をまたがる沖縄平和祈念公園の中にある資料館です。
沖縄県平和祈念資料館の中から撮った摩文仁。
沖縄県平和祈念資料館の中にあるひろば・ゆいまーるでは、「捕虜になった時-多くの命を救った決断-」という特別展示会が行われていました。これは、沖縄戦80年となったことで行われた催しで、前期は6/6~7/13、工期は9/6~10/13に行われます。
明日は、HD-2D版「ドラゴンクエストⅢ」の発売日になります。その陰で、ある魔物の名称が変更されることが明らかになりました。
請戸小学校を出ると、写真ではわかりにくいでしょうけど、煙突のようなものが見えます。周辺にクレーンがあるので、恐らくこの先にあるのが、東京電力福島第一原子力発電所でしょう。
こちらは、「中浜地区大震災慰霊碑」。浪江町と双葉町にまたがる中浜地区の犠牲者を追悼するものでもあり、東日本大震災の被災状況を伝えるものでもあり、この地区の成り立ちを伝えるものでもあります。
先程紹介した場所から、さらに南西に向かう。双葉駅のそばにある交差点から国道6号を南下するとあるのが、「東日本大震災慰霊碑」です。東京からだと、約256km(256kmスポットより少し手前)のところにあります。
「東日本大震災慰霊碑」のそばには、放射線量測定器がありました。これを見ると、まだまだこの地域は、放射能の呪縛からは解かれていないと感じずにはいられません・・・。
双葉駅に近付いてくると、大きな壁絵(グラフィティ)が現れます。その一つが「HUMAN POWER」。
こちらは、「TOGETHER」。旧消防署の壁に描かれたものです。
そして、「FUTABA Art District」。双葉駅前で展開した壁絵の集大成です。
やっと双葉駅に着きました。
その中にあるのが、「希望のとびら」。まるで「ドラえもん」に出てくる「どこでもドア」みたいな格好のものになっています。
苕野神社から徒歩で10分弱、請戸地区にある震災以降の一つ、請戸小学校にやって来ました。
請戸小学校は、海から300mほどだったため、東日本大震災で津波の影響を受けただけでなく、東京電力福島第一原発の放射線事故に伴い、避難を余儀なくされました。そして6年近く帰れないまま時は流れ、2017年に避難指示が解除されたことで、一部ですが、やっと復興への一歩を踏み出したのです。残念ながら、請戸小学校は統廃合されることになったものの、震災遺構として2021年に再出発することになりました。
校内には、絵本による説明書きがなされています。
1階にあった2年生教室。教室内に壁が倒れていますけれども、震災当時は津波の影響で、教室から廊下に向けて倒れていたそうです。
津波の影響は、隣の教室にも大きく表れています。壁の鉄骨が逆くの字(南側から北側)に曲がっています。
こちらは、職員室にあった複合盤。各室内の時計や火災報知を管理していたものだったのですけど、津波の影響で流されてしまい、機能を停止してしまいました。そのため校内の時計は、津波が到達したとされる15時37分を指したまま止まっているのです。
網の向こうに見えるのは、校長室にあった金庫。重厚なこの金庫も、津波によって倒されてしまいました。
こちらは、ランチルーム。全生徒が昼食を食べていたところです。
その奥にあったのが、調理室。この小学校だけでなく、他の小中学校の給食を調理していたようです。
反対側に回ってくると、その数の多さ・すさまじさがよくわかります。
震災当時の避難ルート。
大平山に登ることができたのは、児童が野球の練習で山に登るルートを覚えていたからだそうです。この子がいなければ、山に登れず、津波に飲まれていたかもしれません。
こちらは体育館。
こちらは見晴らし台。ここから見える景色は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。
この津波到達点は、2階に上る途中にも設置されています。つまり、この校舎は、1階は全て浸水したという意味でもあります。
2階は、一部のみ公開されており、家庭科室より西側は非公開となっています。
こちらは、模型復元プロジェクトで作られた請戸地区。
6年生教室には、メッセージの掛かれた黒板が残されています。
小学校の北側にあるのが、先人の丘と呼ばれるところ。かつて共同墓地があったところです。
玄関に当たる部分にある請戸地区の地図。
特急ひたちに乗って降りたのは、浪江駅。福島県双葉郡浪江町にやって来ました。現在でも2/3ほどが、帰還困難区域に指定されている東西に長い町です。「なみえ焼そば」で有名になりましたね。
浪江駅から、ひたすら東に歩いて約1時間10分ほど。少し開けてきた海岸部にポツンと建っている建物が見えてきました。これが、今回最初の目的地になる苕野(くさの)神社になります。少なくとも神話の時代からあるとされ、奈良時代には社殿があったそうです。
鳥居を含めた正面から。
社殿を正面から。
もう一枚社殿を収めた。何かに使おうぞ。
震災の津波から残ったものもいくつかありました。
この神社の近くには、請戸(うけど)郵便局もありましたが、集落と共に流されてしまったそうです。
うちの近所のスーパーが明日閉店になるそうな。