2019年05月05日

平成最後の東北に向かう③ 十府ヶ浦海岸駅にて

SHV39_4855久慈駅を出発して20分ほど、久慈駅から数えて3駅目の十府ヶ浦海岸駅で途中下車
写真はその前の車窓の景色。見てわかる通り、海の波間が見えないほどの大きな防波堤が築かれていました。それだけ大きな津波が襲い掛かってきたということでしょう。



十府ヶ浦海岸駅は2019年5月現在、三陸鉄道の中で最も新しい駅になります。しかし、過去にも臨時ながらも駅として設けられた時期(1986年~1992年の夏季および1997年のイベント時)があります。それでも設置に至ったきっかけは、震災後に宅地ができたことによるもの。ホーム1面と小さな待合室しかない駅ですが、付近住民にとっては、とても重要な駅なのです。


SHV39_4862この駅と線路に沿って大きな公園が整備されています。十府ヶ浦公園という津波防災緑地です。
大きく5つに分けられ、海浜運動広場・野鳥のもり・多目的運動広場・のんちゃんパーク・環境保全広場となります。なお、ここで挙がっているのんちゃんとは、野田村のマスコットキャラです。
また、津波防災緑地になっている通り、ここは東日本大震災を忘れず、この地には住宅を建設しないという意味も込められています
この掲示板の横には、東日本大震災時の推測津波浸水位が付いているのですけれども、およそ私の腰かそれより少し上の辺りまで来ていましたね。1m弱というところでしょうか。



SHV39_4861この公園には、ほたてんぼうだいという海などの景勝地を一望できる施設があります。
丁度国道45号の道すがらにあるので、休憩地としてもいいかなとも。もっとも、道の駅が北にもう少し走ればあるそうですけど・・・。



SHV39_4859こちらが、十府ヶ浦(海岸)小豆色の砂なので、小豆浜とも呼ばれています。リアス式海岸の続く三陸の海の中でも珍しく立派な海岸線になっています。
こちらが三陸復興国立公園(旧陸中海岸国立公園)の一部になるのですけど、東日本大震災の津波によって砂浜が大きく削られてしまいました



SHV39_4856十府ヶ浦の地名が書かれた碑もこのように根こそぎ津波で持って行かれております(実際は上部分を切り取って残したものらしい)。



SHV39_4857近くにあった綿津海神社も跡形も無くなっています。



SHV39_4866実は、津波の脅威は東日本大震災の時だけではなかったのです。
こちらは、昭和三陸地震の際の津波を忘れないように碑にした「津浪記念碑」。先程紹介した綿津海神社にあったのですが、津波で倒され、後に高台に移築されました。



SHV39_4865そのそばには、「東日本大震災 大津波記念碑」が置かれています。
3枚の石板は扉のように海に向かって開いており、3つの防波堤(海岸の防波堤・三陸鉄道や国道45号・十府ヶ浦公園の盛り土)を表しています。また全体では海に対する畏敬の念・追悼の場・ふるさと・未来も表しています



SHV39_4870駅のそばには、「震災遺構 米田歩道橋」があります。
元々米田川という川を渡るための歩道橋だったのですが、東日本大震災の津波で大きく破壊されたその時の残骸です。後に水門は河口そば(防波堤に組み込まれる形)に再建されました。
津波の破壊力を思い知らされ、恐らく触ることもできる数少ない施設になるかと。



次の列車が来るまで40分ほど待つことになっていたのですが、その40分はあっという間に過ぎていきました。それだけ見どころの多い場所だと思います。絶景を眺めているだけでも時間は大きく過ぎていくことでしょう。
震災を知るだけでなく、三陸の美しい風景を見るために訪れてもいいでしょう。かなり寒い(実際この日も寒かった)ところですけど、初日の出を見るのにもいいでしょうね。


次に来た列車に乗って、今度は島越駅に向かいます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)