
遠くから見ても、その量が尋常ではないということがわかる。
NHKの報道によれば、日本で一番がれきの残る町という位置付けにあるのが、南三陸町の現状なのである。もちろん、福島第一原子力発電所関連で入れない地域は除かれている。

防波堤はあの日の津波で無残にも破壊され、今は土のうが積まれて何とか波を食い止めているというふうなのだろう。
荒れた天候だった昨日(5/4)のようだったら、町中一帯は見事に冠水してしまうだろうと思えてならない。

現在、志津川病院は隣町の登米市に移転し、南三陸町で医者にかかりたい患者は、震災直後にイスラエルの医療団体から贈られたプレハブの診療所を利用するというふうになっています。
現在は元ある場所ないしは町に戻れるように思案中のようです。
なお、志津川病院跡の前では、大勢のボランティアが復旧作業に取り掛かっていました。

そこには、横倒しになっている鉄の塊が。
よく近寄ってみてみると、何とSL。後で調べてみると・・・。

それゆえに、あれほど大量のがれきが置ける、悪く言えば残されてしまったわけだ。
先述のSLも、公園内の敷地に置かれていたモニュメント的なものだったのだが、津波で流され、横倒しになってしまったのが、今そのままになっているというふう。
津波の圧倒的な力は、物を倒す・壊すだけでなく、人の心理状態にまで大きな深手を残すのか。
改めて、津波の力に圧倒され、適当な言葉が出ない。

八幡川の右岸にある骨組みだけの建物。
そこには、「よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町」の言葉があり、胸に刺さる。
あれだけの惨事に遭いながら、必死に前に進もうとする住民達の精神的な強さと、何も進まない町の復興に絶望しそうな中で、ともすれば空虚になりかねないスローガンに。
みうらという店の建物に掲げられているこのスローガン、ぜひとも前者になってほしいものだと心から願う。
みうらの店主は恐らく無事だったのだろう。だからこそ、店主や町の人々に月並みな言葉ながら一言申し上げたい。進まない復興に負けないでほしい、頑張ってほしい。
次回は志津川駅周辺の様子を書いていこうと思います。

