2022年12月12日

アニソンの帝王、逝く

歌手の水木一郎さんが、12/6に肺がんのため亡くなりました。74歳でした。


水木さんは、高校卒業後にザ・ドリフターズの付き人になり、そこで2代目リーダーの勧めにより、新宿・歌舞伎町にあったジャズ喫茶のコンテストで優勝したことで、歌手への道が切り開かれました。
しかし、当初は鳴かず飛ばずで、しまいには先輩歌手だった奥さんのために作曲家の道に進もうとさえ思っていたこともあったそうです。

ところが、1971年に放送されたアニメ「原始少年リュウ」のオープニングだった♪原始少年リュウが行くを歌ったことで、後に『アニソンの帝王』と呼ばれる一歩となったのです。
当初は映画主題歌を歌いたかったものの、アニメソングと真摯に向き合うことで、それがやがて1973年に放送された「マジンガーZ」のオープニングであり、彼の代名詞的な曲になる♪マジンガーZに繋がっていくのです。
その後は、数多くのアニメ主題歌を担当し、子供達に人気があったことから、NHK教育テレビ(現在のEテレ)の子供向け番組「あかあさんといっしょ」で歌のお兄さんを務めたこともありました。そのため、もう一つの代名詞である『アニキ』とも呼ばれるようになったのです。

1982年には、主題歌レコードのトータルセールスが700万枚以上という記録を樹立し、当時のギネスブックに収録され、1997年にはフリーに転向2000年に入ってからは、JAM Projectを設立。また後進の育成のための学校を設立し、アニソンの今後を切り開いていったのです。

また、水木さんといえば、東京都出身でありながら、中日ドラゴンズの公式ソングである♪燃えよドラゴンズ!の歌手にまでなったのです。どのような経緯で歌うことになったのかは不明ですが、以降名古屋では水木一郎といえば、♪燃えろドラゴンズ!とまで言わしめたのです。

その水木さんは、2021年に声帯不全麻痺の症状が発覚。2022年には、その声帯不全麻痺の検査の際にステージ4の肺がん(リンパ・脳・髄膜に転移までしていた)が発覚。一時はリハビリできるまでに回復したものの、容体が急変して亡くなったのだそうです。


数多くのアニソンを歌い上げ、多くの人達に感動と勇気を与えてくれたアニキには、敬意しかありません。最後の最後まで、アニソン歌手として生き抜こうとする様は、今後も語り継がれると思います。「ANISON DAYS」出演の際に、かなり大変そうだとは思っていましたが、ここまで酷いものだったとは思っていませんでした。だからこそ、今はゆっくり休んで下さい。


ご冥福をお祈り致します。どうか安らかに。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 23:42Comments(0)