2014年08月03日

究極の親バカ?それとも地域の安定に繋がる?

アフリカのエジプトとスーダンには2つの領土係争地があります。
一つは、ハラーイブ・トライアングルというところで、もう一つはビル・タウィールというところ両地とも乾燥地帯の中にあるのですが、前者は戦略上非常に重要ということで、現在でも領有権争いが活発になっていますが、後者は実は両国とも見向きもしない土地になっています。


この2つの地域が生まれた背景は、イギリスが勝手に引いた境界線が原因となっています。
1899年にイギリスは綿花不況で財政破綻していたムハンマド・アリー朝エジプトに侵攻し保護国とし、エジプトが支配していたスーダンも含め共同統治とします。その際にエジプトとスーダンに境界線を設け、その境を北緯22度にするとしました
ところが、ハラーイブ・トライアングルにいる住民がスーダンに近い文化圏、ビル・タウィールにいる住民がエジプトに近い文化圏だったため、1902年に改めて引き直されることとなり、ハラーイブ・トライアングルがスーダンに、ビル・タウィールはエジプト領となりました。
しかし、双方が分離独立した後、2つの地域はエジプト・スーダン双方が領土を主張する事態になり、特にハラーイブ・トライアングルは港湾施設があることからエジプト・スーダン双方が譲らない事態になりました。しかし、ビル・タウィールに関しては、エジプトが1899年の国境線を、スーダンが1902年の国境線をそれぞれ主張しているため、双方の国家に属しない(つまり、双方が相手にあげると言っている)状態になってしまいました。


このことを踏まえて、今回の話が出てくるわけです。


今年、アメリカに住むエレミア・ヒートンさんは娘の誕生日を迎えた際に、彼女からこんなことを言われました。いわく、本物の王女様になれるかなと。かねてから王女様願望を持っていた娘のためにと父親は考えました。普通の父親なら一軒家の庭に自分の国だよと言って『建国ごっこ』をさせる・・・というふうで終わるでしょう。
ところが、お父さんは子供達との約束を守るため最善を尽くすために知恵を絞り出し一つの結論に達しました。何と、ビル・タウィールに目を付け、そこを自分達の国を立ててしまったのです。まるでドラえもんがのび太くんのために「おこのみ建国セット」を出してしまったかのような発想ですなぁ。

その後、ヒートンさんは現地に赴き、6/16に北スーダン王国を『建国』(名前が付いたのはアメリカに帰国後)自分の娘を国家元首(女王)にしただけでなく、フェイスブック上で建国宣言までしてしまったのだから、その本気度が窺い知れます。その際には、娘を含めた子供達がデザインした『国旗』も掲げています


ただ、実は過去にもビル・タウィールは多くの人達が目を付け、『建国』している場所なのだそうで、本人達もその一人になるんじゃないかと思っているそう。しかしながら、建国は本気のようで、今後認知活動をアフリカを中心に行っていくのだそうな。


実のところ、エジプト・スーダンが領有を放棄し、かつ人口も遊牧民がいるものの、実質人口は皆無とのこと。砂漠地帯なので土地も痩せ、特産物もあるわけではない。しかし、それでも女王は「この国一帯を田園地帯にする」という夢を持っているのだそうだ。
今後どうなるかわかりませんが、ここまで本気で国作りをしたいのなら、同じ夢を持つ人達を住人に仕立てて本格的に国家を作ってもいいんじゃないかと思うんですよね。それこそ世界が誰も成し得なかったコスモポリタン的な国家が不毛の地にできるのかもしれないですしね。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 23:57Comments(0)TrackBack(0)

2011年02月02日

事は単純に進まぬ可能性が

エジプトがさらなる混沌に襲われています。
これまでほとんど姿を現していなかったムバラク大統領支持派が街中に現れ、同大統領を支持するシュプレヒコールを上げ始め、反ムバラク派のデモ隊と衝突。その際に死傷者が出たと伝えられました。

丁度午後10時になる前、NHKのニュースが終わる頃にこの状況が流れたのですけど、怒号と怒号のぶつかり合いで、かつ人の波の流れがこれほどくっきりと出るデモも久しく見ていないなと思いますたいていこれまでの図式が『デモVS治安部隊』というふうだったので、国民同士が衝突するという事態はそうそう見られるものではありません。しかもあれだけ大規模(確か首都カイロのデモでは10万、全土では100万のゼネストが呼びかけられていただけに)なものは・・・。


これにより、単純に『ムバラク政権が倒れることで第1章が終わり、反ムバラクで結束した勢力が割れる第2章が始まる』という流れは無くなるかもしれません。ただ、これによってムバラク政権は首の皮1枚繋がったなと見られそうです
ただ、この親ムバラク派のデモは当局の扇動によって行われたものという未確認情報(ネットのニュースでは出てこず、NHKでのみ伝えられたため)もあるため、もしかすると、先述のような単純な動きに戻るかもしれません
だからと言って楽観視はできず、下手をすればさらなるカオス、つまり内戦状態に陥るかもしれません。これはアメリカも恐れる事態になるでしょう。

もちろんこれまた先述の通り、反ムバラク派の結束も打倒までが一緒で、その後の統治は全く食い違っています。これも内戦に発展する要因になりかねません。トルコのように合法的手段で終わればいいものの、ムスリム同胞団という反ムバラク派のイスラム政党がアルカイダとのつながりがあるとされる政治団体のため、以前の記事で書いたように、グルジアのような流れか『民衆支持』を隠れ蓑に一気にイラン化するのかもしれません


どちらにしても予断を許しませんし、さらなるカオスな展開も起こり得るでしょう。今後の世界経済や情勢・日本経済にも影響を与えかねないので、しばらくは注視すべきでしょう。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)TrackBack(0)

2011年01月31日

エジプトはどこに向かうのか?

昨年から今年にかけて大規模な騒乱となり、遂には政権までひっくり返したチュニジアのジャスミン革命。
これほどのうねりは中東・アフリカ諸国では珍しく、さながら東欧革命になぞらえることも名称から色の革命にもなぞらえることができるわけです(ただし、色の革命は平和的に解決できたことが大きなポイントになるため、それに当てはまらないという捉え方もある)。
その市民革命の飛び火は、周辺の長期独裁国家や国民生活が困窮した国家に向けられています


そして次のターゲットになったのがエジプト

観光業や高い経済成長率、そして親米国家でイスラエルとの関係も良好とされ、欧米諸国からも中東諸国からもアラブの要と称されたエジプト。実はその恩恵は、『ナイルのたまもの』ならぬ『ムバラク(大統領)のたまもの』で生じたものでした。
1981年、イスラエルとの第4次中東戦争を戦った後、当時の独裁者だったサダト元大統領が暗殺。後任に空軍出身者で当時副大統領のムバラクが大統領にスライドしました。
それ以来、安定した成長と多角的な外交を築いたのは先述の通り。しかし、その成長の裏で貧富の差は止め処なく拡大したとされ、国民の中には1ドル以下での生活を強いられているとも読み書きもままならない生活を送っているとも言われていました。
今までは生活保護に当たるパンの低価格での配布を行うことでしのいできましたが、リーマンショック後の世界経済の悪化や世界的な食糧価格の高騰で、それがままならなくなり、支援の打ち切りに動いたことで生活状況はさらに悪化。我慢できなくなった国民の一部がデモを始めていました。そこに1月に起こったコプト教(キリスト教の一派)へのテロ事件で政府が無能だったことも政権不信に油を注いだとされています。

当初は焼身自殺が相次いだだけだったものの、1月下旬から本格的なデモに発展。その後政権への不満がショッピングセンターでの略奪や政権与党のビルへの放火、しまいには政権が出した数々の禁止令の放棄に発展し、鎮圧する治安部隊との衝突で数多くの死者が出ました混乱した情勢を終息させるために、国民がデモ集めに使っていたインターネット(フェイスブックなど)や携帯電話のメールの遮断や夜間外出禁止令を発布。それに加え、数々の懐柔策(ムバラク大統領以外の内閣総辞職。副大統領ポストへの投与)を打ったものの、国民の怒りは収まる気配がありません。一部地域では無政府状態にあるとされ、予断を許しません。
現在、ノーベル平和賞受賞者のエルバラダイ元IAEA事務局長が半ば指揮する形でデモを扇動しているようにも見え、一部のデモにはイスラム過激派の影もあるとされています。


ところで、政権が崩壊した時、どうなるのかが気掛かりです。私が見るに、2パターンが想定されます。一つはイランのように民衆が起こしたイスラム革命。もう一つはグルジアで起こったパターン。ただ、私が一番起こる可能性があるのは後者のパターンだと思っています。
というのも、グルジアで起こったことと今のエジプトで起こっていることは似通っていると思うからです。

グルジアでは、ソ連崩壊後に民主改革派として国を引っ張ったガムサフルディア元大統領が初代大統領に就任すると、民族主義と独裁政治を強行。民衆の中では反政府運動が活発化していました。その反政府運動で担ぎ出されたのが、旧ソ連外相でゴルバチョフ元ソ連大統領の右腕ともされたシェワルナゼ2代目大統領。1992年にクーデターでガムサフルディア初代大統領が追放されると、シェワルナゼ2代目大統領が就任し安定するかに見えました。

ところが政治基盤の脆弱なこともあって、自身の暗殺未遂後は安定しかかった経済も破たん。さらに汚職などがまん延したため、再び反政府運動が活発化しました。結局2003年に行った大統領選挙の不正がきっかけでシェワルナゼ元大統領が辞任。暫定政権の後、再び民族主義・強硬論者のサーカシビリ大統領が就任することになったわけです。


この一連の動きを見て、10年経てば元通り・・・という点と、隙あらば引きずり落とそうという動きが見られます。
エジプトとの違いは、先述の通りイスラム過激派が介在している点。仮に民衆革命が成功し、国際的な知名度のあるエルバラダイ元IAEA事務局長が大統領に就任した場合、イスラム過激派が似たようなことを起こす(つまり、とりあえず泳がせるだけ泳がせて、あっぷあっぷしだしたところを叩く)のではないかと思うわけです。あるいは一気に潰しにかかるか。そのあたりどうなるのか気になるところです。  
Posted by alexey_calvanov at 23:38Comments(0)TrackBack(0)