2011年08月22日

こう着状態だったのが一気に決まっていった感じ

今年の2月から緊迫した状態で進んでいたリビア情勢が、一気に決着に向けて進んでいるようです。


リビアは、カダフィ大佐がクーデターで政権を獲った後は、国内に憲法も議会もない状態で40年以上独裁政治を行っていました。リビア国内はそれでも、国内から獲れる石油や天然ガス資源で潤っているとされていました。
ところが、国内の貧富の格差は増大しており、特にカダフィ政権下では東部地域は旧王族支持者の巣窟として冷遇されていたと言われていました。また、そのひずみが出てきても、徹底的に弾圧していたとされていました。

そんなカダフィ政権下のターニングポイントとなったのは、アラブの春と言われた中東・北アフリカを中心とした民衆運動
チュニジアで起こったジャスミン革命をきっかけに、エジプトのムバラク政権崩壊にまで至った民衆運動と、そのうねりは拡散していき、2月には不満分子の多かったリビア東部に至りました。

2月に東部最大の都市で王都でもあったベンガジから端を発したデモは、ベイダ・トブルクなどに飛び火。たちまち東部を反体制派(後の国民評議会)で固めたと同時に、西部のミスラタ・ザウィヤなどを掌握首都のトリポリでも反体制派のデモが起こりました。
反体制派は中部のラスラヌフなど製油施設のある地域までは進攻できたものの、カダフィの出生地とされるシルテまでが制圧できず、一時期は西部はミスラタ以外全て政権側に奪還され、東部も反体制派の拠点だったベンガジまで攻められる事態にまでなりました。

そういった事態に陥ったのを危惧した国際社会は、リビアに飛行禁止区域を設定しカダフィ政権側の制空権を剥ぎ取り、またNATOを中心とした多国籍軍がリビアのカダフィ政権の主要施設を空爆することで反体制派をアシストしていきました。それでも、政権側の猛攻が止むことはなく、むしろ一進一退の攻防を示していたのです。


ここまでが日本で伝わってきていた報道。特に3月の地震以降、あまりリビア情勢が入ってきていませんでした(それでも、反体制派の軍司令官が死亡し、組織が混沌とし始めているなど嫌な情報が入ったりもしましたが)。

ところが、今月に入って急に進んだと思われる事例が出てきました
これまで防戦一方だったミスラタで、急にカダフィ政権側の兵士が撤退実質ミスラタの攻防戦は反体制派の勝利に終わることになります。
また、アメリカのオバマ政権の報道官が「近いうちに、この内戦は終わる」と発言していたのもこの内戦が急激に終わりに向けて進行していた物を示唆していたのでしょう。最初この話が出てきた時は半信半疑で聞いていましたけれども、今日の首都ほぼ陥落の報道を聞いて、彼らの情報収集力の凄さに驚かされました


実は、まだ中部の都市は制圧されていません。ただ西部の都市と南部の都市は制圧されていることから、西部の反体制派の奮闘がここまで押し上げたのではないかと思います


8/22現在トリポリは8割がた反体制派が制圧し、カダフィ大佐の次男で後継者と目されたセイフイスラム氏が拘束されたとされています。しかし、カダフィ大佐の住む地域は制圧されていないのと国営テレビがまだカダフィ礼讃をしていることから、まだトリポリの主要地域が落ちていない、もしくは8割がたの制圧が本当になされていない可能性もあります。
それでも、状況を考えると、カダフィ政権はもう間もなく終焉を迎えると考えられます。カダフィ大佐が生きて捕らえられるのか死して迎えられるのか、そして今後政権を運営する国民評議会が部族の意向が強い国内をまとめきれるかが今後の焦点となるでしょう。


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Posted by alexey_calvanov at 23:31Comments(0)TrackBack(0)