文字を電波(無線)に乗せて相手に伝えるサービスである「ポケットベル」、平成と共に歩んできたサービスも遂に終わりの時を迎えました。
最後までポケットベルのサービスを行っていた東京テレメッセージが、個人向けのサービスを2019年9月末で終了すると発表しました。
ポケットベルのサービスそのものは、昭和時代(1968年)からあったものの、本格的に普及し始めるのは昭和の終わり(1980年代後半)~平成に入ってから(1990年代初め)で、爆発的に普及し始めたのは1992年頃といわれています。
その時のポケベルは数ケタの数字が送れるようになり、普段は電話番号を打ち込んで、相手に指定した電話番号で掛けさせるように促すものでした。しかし、当時メインで持っていた女子高生は、語呂遊びなどで相手にメッセージを送るということを行い、いつしかそれが主流になってきます。
最盛期には文字だけでなく絵文字も送付できるようになり、まだ携帯電話が高価だったこともあり、爆発的に普及することになりました。
しかし、携帯電話・PHSの普及に伴い、緩やかに減少をし始め、ブームをけん引していた女子高生が大学進学や就職などで携帯電話・PHSに所有を切り替えたことや携帯電話・PHSでメールサービスが開始されたことも追い打ちになり、急激に減少をし始めます。その過程で東京テレメッセージは一度破算の憂き目に遭い、2008年に復活するまで鷹山(後のYOZAN。2017年に破算)に経営権を譲渡して何とか生き延びるというふうになりました。その他のテレメッセージグループも2000年代には解散する事態になり、最終的に残ったのは東京テレメッセージと沖縄テレメッセージだけになりました。
テレメッセージグループの譲渡先になることもあったNTTドコモも、サービスの改変を行い生き残りを模索したものの、2007年には16万以上の利用者を残してサービス終了をすることになります。
残った沖縄テレメッセージは2017年にサービスを終了したため、遂に東京テレメッセージのみとなり、今月サービス終了の発表を行ったのです。最終的に残ったのは1500で、主な利用者は輻輳(電話が掛かりにくくなったり受け取りにくくなる状態)を嫌った防災関係者や電磁波を嫌った病院関係者達でした。
サービス終了の理由は、防災無線事業への経営の集中と販売から20年という時期が契機になったとのこと。ただ、そのDNAは防災無線の中の地方自治体向け情報配信サービスに生かされるとのこと。ポケベルは形は変えながらも死なないのです。
♪ポケベルが鳴らなくて