2023年09月12日

砂漠の国で洪水

北アフリカにあるリビアで洪水が発生したというニュースが飛び込んできました。
・・・リビアって国土のほとんどが砂漠じゃないのかと思っていたんですけど、実際の映像を見ると、激しい雨が降って、ワジ(涸(か)れ川)、普段は涸れているのに、雨が降ったことで川のようになってしまったかのような雰囲気に。あちこちで浸水も発生し、都市の25%が消失したとも。


洪水が発生したのは、リビア東部のデルナという街を中心とした地域で、先述のように砂漠が国土のほとんどを占めている同国の中で、数少ない緑と肥沃な土地をたたえた地域でもあります。リビアで起こったアラブの春では、東部の最大都市であるベンガジや現在の東部側の政府が置かれているトブルクと並び反カダフィ政権の拠点の一つとなりました。
デルナ周辺で起こった暴風雨で街の南(上流部)にあるダムが決壊し、洪水になったそうです。死者が2000人ほど、行方不明者を含めると1万人になるという報道もあります。


普通の国なら、政府と赤十字などが救助活動を・・・となるのですけど、カダフィ政権崩壊後のリビアは、東西対立およびイスラム過激派との内戦を経て、西部のトリポリを中心とした国民統一政府と東部のトブルクを中心としたリビア国民軍が後ろ盾の国民代議院に分裂しています。統一政府を作る交渉も行われているものの、暗礁に乗り上げているとのことで、未だ解消される雰囲気は無さそうな中での洪水発生となり、東部の国民代議院(リビア国民軍)だけでは対処できない状況に陥っているようです。


大雨は東部の沿岸(ベンガジなど)でも記録されているとのことで、さらに犠牲者が増える可能性もあります。地中海を挟んだギリシアでも被害が及んでいるとのことなので、国際的な災害になる可能性もあります。


ともかく、この大規模な災害が発生している時に、東西が対立している場合ではない。しがらみやわだかまりはあるかもしれないけれども、今は一致団結して被災民の救済を図ってほしい。そのためには、国際社会や組織も協力を惜しまず、双方の(自称統一)政府に『本当の意味で統一』した動きをするように働きかけるべきだと思います。
幸い、西部の国民統一政府は東部の救済を求めています。東部の政府は、和解のいい契機になると思い、繰り返しになりますが、一致団結して救済への動きを見せてほしいです。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 23:56Comments(0)

2011年10月20日

カダフィ終了のお知らせ

リビアの情勢が急に動きました。
先日カダフィ派の拠点の一つが陥落したのに続き、今日リビアの最高実力者だったカダフィ大佐の出生地とされるシルトが陥落したと反カダフィ派であるリビア国民評議会が報じ、リビア全土が解放されたと宣言されました。一部ではカダフィ大佐が拘束されたとの報道もありましたが、リビア国民評議会が否定するなど情報が錯綜していました。

それから数時間後には、カダフィ大佐の拘束と死亡が流れました。今度はリビア国民評議会が報道し、一部ではカダフィ大佐と称される男の死亡しているないしは意識不明の状況を映した画像が流れました。しかし、リビア国民評議会は次男のセイフイスラム氏を拘束したと称しながら、実際は拘束されていなかったという事態があったために、予断を許しません


ただ、全土を制圧したのはほぼ間違いない模様です。カダフィ派の拠点が一つ落ちているのが確認されているので、シルトが落ちるのも時間の問題だと思われていたからです。
仮にカダフィ死亡が事実であれば、リビアは名実ともにカダフィ支配から脱却したことになります。またわずかに残っているカダフィ派の残党も投降する事態になるでしょう。このあたりはルーマニア革命を始め、いくつかの政変で明らかになっていることでもあります


しかし、まだ暫定政権であるリビア国民評議会が1枚岩になっていないのは事実で、このカダフィ死亡がリビアを1つにまとめるためのカンフル剤になるのか、リビア分裂への第1歩になるのかまだまだ状況が図りかねるふうです。
リビア国民評議会は、内戦のためにばらまかれた状況になった武器を早く回収し、武力で訴えない民主的かつ平和裏な政権への移行を図っていける集団として動かなければならないでしょう。そして決して自分達が政権をリードすることは考えずに、選挙で審判を受けるまでの暫定的な組織であることに徹しないと、今度は国の方針を巡る内戦に陥りかねません。これでは、亡くなったとされるカダフィがほくそ笑むだけになってしまうのですから。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:59Comments(0)TrackBack(0)

2011年08月22日

こう着状態だったのが一気に決まっていった感じ

今年の2月から緊迫した状態で進んでいたリビア情勢が、一気に決着に向けて進んでいるようです。


リビアは、カダフィ大佐がクーデターで政権を獲った後は、国内に憲法も議会もない状態で40年以上独裁政治を行っていました。リビア国内はそれでも、国内から獲れる石油や天然ガス資源で潤っているとされていました。
ところが、国内の貧富の格差は増大しており、特にカダフィ政権下では東部地域は旧王族支持者の巣窟として冷遇されていたと言われていました。また、そのひずみが出てきても、徹底的に弾圧していたとされていました。

そんなカダフィ政権下のターニングポイントとなったのは、アラブの春と言われた中東・北アフリカを中心とした民衆運動
チュニジアで起こったジャスミン革命をきっかけに、エジプトのムバラク政権崩壊にまで至った民衆運動と、そのうねりは拡散していき、2月には不満分子の多かったリビア東部に至りました。

2月に東部最大の都市で王都でもあったベンガジから端を発したデモは、ベイダ・トブルクなどに飛び火。たちまち東部を反体制派(後の国民評議会)で固めたと同時に、西部のミスラタ・ザウィヤなどを掌握首都のトリポリでも反体制派のデモが起こりました。
反体制派は中部のラスラヌフなど製油施設のある地域までは進攻できたものの、カダフィの出生地とされるシルテまでが制圧できず、一時期は西部はミスラタ以外全て政権側に奪還され、東部も反体制派の拠点だったベンガジまで攻められる事態にまでなりました。

そういった事態に陥ったのを危惧した国際社会は、リビアに飛行禁止区域を設定しカダフィ政権側の制空権を剥ぎ取り、またNATOを中心とした多国籍軍がリビアのカダフィ政権の主要施設を空爆することで反体制派をアシストしていきました。それでも、政権側の猛攻が止むことはなく、むしろ一進一退の攻防を示していたのです。


ここまでが日本で伝わってきていた報道。特に3月の地震以降、あまりリビア情勢が入ってきていませんでした(それでも、反体制派の軍司令官が死亡し、組織が混沌とし始めているなど嫌な情報が入ったりもしましたが)。

ところが、今月に入って急に進んだと思われる事例が出てきました
これまで防戦一方だったミスラタで、急にカダフィ政権側の兵士が撤退実質ミスラタの攻防戦は反体制派の勝利に終わることになります。
また、アメリカのオバマ政権の報道官が「近いうちに、この内戦は終わる」と発言していたのもこの内戦が急激に終わりに向けて進行していた物を示唆していたのでしょう。最初この話が出てきた時は半信半疑で聞いていましたけれども、今日の首都ほぼ陥落の報道を聞いて、彼らの情報収集力の凄さに驚かされました


実は、まだ中部の都市は制圧されていません。ただ西部の都市と南部の都市は制圧されていることから、西部の反体制派の奮闘がここまで押し上げたのではないかと思います


8/22現在トリポリは8割がた反体制派が制圧し、カダフィ大佐の次男で後継者と目されたセイフイスラム氏が拘束されたとされています。しかし、カダフィ大佐の住む地域は制圧されていないのと国営テレビがまだカダフィ礼讃をしていることから、まだトリポリの主要地域が落ちていない、もしくは8割がたの制圧が本当になされていない可能性もあります。
それでも、状況を考えると、カダフィ政権はもう間もなく終焉を迎えると考えられます。カダフィ大佐が生きて捕らえられるのか死して迎えられるのか、そして今後政権を運営する国民評議会が部族の意向が強い国内をまとめきれるかが今後の焦点となるでしょう。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:31Comments(0)TrackBack(0)