2016年07月25日

商業主義がドーピングを容認したのだ

国家的なドーピング行為の行われていたロシア選手団がリオデジャネイロオリンピックに参加できるかという動きがにわかに高まっておりましたけれども、陸上に関してはスポーツ仲裁裁判所に申し立てたロシアの選手の訴えを退け、事実上参加不可となりました。
この動きを受け、国際オリンピック委員会(IOC)がロシア選手団に対してどういう裁定を行うかが注目されていました。その裁定の結果が昨日決まり、IOCは全面除外を見送り、各競技の国際連盟に一任することになりました。
この決定により、ロシアの影響の大きい柔道・レスリングなどの競技は参加することになるでしょう。一方で組織的ドーピングが目立った重量挙げなどでは参加できなくなりそうです。このように一律性がないため、各競技の組織委員会が混乱し、結論を定められないままオリンピック開幕を迎えかねないわけです。


今回はロシアの圧力によるものという見方が多いですけれども、リオデジャネイロ市民のインタビューを聞いていて、それだけではないと感じています。それは、「ロシア参加が決まって、大勢の観光客が来るので、この裁定はうれしい」という意見
そうです、オリンピックに覆う闇の一つ、商業主義がIOCの判断を鈍らせたのではないかと思ったのです。

オリンピックが商業主義化したのは、1976年のモントリオールオリンピックまでさかのぼります。この年のオリンピックで数十年先まで返しても残るほどの膨大な借金を残していました。この反省から、共産圏で開催された1980年のモスクワオリンピックを挟んで、1984年のロサンゼルスオリンピックからスポンサーを解禁し、商業主義をスタートさせたのです。
この商業主義化したオリンピックは、オリンピックが儲かるコンテンツとして世界中にアピールでき、かつ莫大な収入を得られるようになった一方で、スポンサーの意向が大きく働くようになり、テレビ放映権料の跳ね上がりや最大のスポンサーを持つアメリカの意向に合わせた競技時間を強いられるなどカネの力が物を言う大会になってしまっているようにも感じます
それゆえに、ロシアが不参加という事態になれば、スポンサー的にも盛り上がりに欠ける大会になりかねない。しかも史上初の南米での開催で、どう転ぶかもわからない。以上の点から、どうしてもロシアには参加できる『抜け道』を作っておいてほしかったのではないのかと思えてならないのです。


IOCが上記の裁定を出した後、欧米の選手・役員を中心に全面不参加を求めて抗議の声が挙がったため、IOCのバッハ会長は、個人には出場の権限があるという一方で、ロシアの選手に関しては推定無罪にはできないとも述べ、厳格な基準(過去にドーピング疑惑が無く、ロシア以外の国でドーピング検査を行ってシロの判定が出て、かつ各競技の競技連盟がOKを出し、もう一度ドーピングを行ってシロの場合)の下なら参加可能というふうに示し、それを最終的に決めるのはIOCだとも述べましたが、どう考えても玉虫色に終わらないかと心配です。
果たして、陸上以外のロシアの選手はロシアの国旗の下に参加できるのか。それとも五輪旗の下で個人参加に至るのか。はたまた全員バッサリ出られなくなるのか。いやいやロシアがボイコットに走るのか。あと数週間弱、予断を許しません。


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Posted by alexey_calvanov at 23:10Comments(0)TrackBack(0)