宮古駅に着きました。ここから三陸鉄道北リアス線に乗るのですけど、1時間ほど間が開くので、駅前を散策すると、駅から歩いて数分のところにセブンイレブンがオープンしていた。たぶん宮古栄町店だと思うのですが、いつまでもお客様のためのお店であってほしいものです。
そこで、「お店で揚げたカレーパン スパイシーレッド」を買ってきた。何にもしてなくたって腹は減るのよ(ニヤニヤ)。
コイツは、一口食べただけでピリッとした味だとわかる。中のカレーもちょっと赤みを帯びていたものね。だんだん食べていくと、辛味が増していくので、辛いのが苦手な人は厳しいかも・・・。ワイは美味い美味いと食べていましたとさ(ギャハ)。
そして、この日最後の列車になる久慈行きの列車が、連続テレビ小説(朝ドラ)の「あまちゃん」仕様になっておりました。
イラストもあったけど、当時の撮影風景も飾られておりました。
こちらも撮影風景の一つですね。残雪の中でやったようです。宮古駅から1時間40分ほど、やっと今日の目的地になる久慈駅に着きました。実は、ここからさらに先に進むことも可能といえば可能なんですが、本来目指したい目的地に夜に着いてしまいそうなので、ここで一泊して、朝一で向かうことにしました。これも泊る場所が駅近のホテルだったのでできる所業(笑)。
それで、ホテルで飲食店リストを見て探すものの、めぼしいところが何一つないように思えたので、結局ホテル近くの養老乃瀧になったよ(ギャハ)。そりゃ味のわかるところの方がいいわね、つぼ八とか(ニヤニヤ)。<駅向こうだったから断念したんやね。そこで、〆に選んだのが「養老牛丼」。実は、養老乃瀧は1970年代後半~2000年代初頭まで、昼は牛丼屋・夜は居酒屋という運営体系を行っていたことがあり、牛丼はその時の看板メニューだったのです(1970年後半には200円という驚異的な価格で出していたらしい)。
昼間の営業が終了したことで、一旦はお蔵入りになったものの、再び食べたい人達の後押しもあって、2016年に3日間だけ東京・池袋のテンポでテイクアウト販売を行ったところ、あっという間に売り切れに。翌2017年に復活し、2020年には牛丼をメインにした居酒屋が開店したのだそうです。
あの時の味と同じものが、100gと量は少なめながらも、存在感を際立たせ登場したのです。ただ、牛丼はレトルトパウチのようだったなぁ(ギャハ)。<そうだったとしても、それは言ってやるな。
ただ、味はよかったですね。吉野家のように少しこってりしているかなと思ってたのですが、ご飯と一緒につゆが絡んでも、サラサラとお茶漬けのように食べられるあっさりとした一品で、肉に関してはよく煮込まれているのか、柔らかい肉質になっておりました。臭みはワインとかのおかげで一切無し。これは何杯でもイケる味だし、お酒のお供にしてもいいかなと。牛皿も欲しくなるね。
そんなことをしていると、時間はもう夜更けに。このホテルでもテレビにYouTubeが見られる機能があり、こちらはログインできたので、IDを利用して普段お気に入りに入れているものをテレビの大画面で楽しみました。テレビで見るのって、パソコンで見るのとは何とも違った感じがします。音響の違いとか画質の違いとかなのかもしれません。
そして、青森県にある2つの目的地に向かうため、この日も朝市の列車に乗るのですが、そのあたりは次回に続く。
大船渡線BRTに乗る前に、少しの時間を利用して、おにぎりだけつまみたい・・・。そう思って買ったのが、NewDaysの「たけのこおこわ」です。
気仙沼駅から約1時間半、三陸鉄道の乗り換え駅になる盛(さかり)駅に着きました。そこからさらに約1時間半待たされるので、お昼ご飯を買って一休みすることに。食堂とかのお店でもよかったのですが、あまりめぼしいところも無く、あったとしても休みだったんですよね・・・。月曜日でしたから。
もう一つは、駅で食べる用で「山形県そば粉使用 冷たい肉そば」。食べるには少し風が出てきて寒いかなと思う時だったんですけど、買ったものは仕方ない(ニヤニヤ)。
そうこうしていたら、時間が来たので、ホームに向かうことに。
釜石駅で今度は宮古行きの列車に乗り換え。10分少々なので、少し駅のホームで待っていると、普通の車両に繋がれて、豪勢そうな列車がやって来たのです。見た目はところどころ塗装が剥げて、何とも年季の入ったぼっこい車両なんですけどね(苦笑)。
車内もところどころ年季の入っている部分はあるものの、総じて贅沢な作りで厳かでした。大きなテーブルもあって、通常運行で使うのは何とももったいない。
釜石駅から盛駅行きの列車に乗って、いよいよ三陸鉄道リアス線での旅もクライマックスになりました。
そんな中で、途中の恋し浜駅で、列車はしばらく停車してくれます。
駅名票の隣にある「幸せの鐘」。こちらには、先程のホタテ「恋し浜」・きらめく星・翼を持つ天使が彫られたステンレス製の透かし彫りがあります。鐘は実際に鳴らせるので、ガキンチョがガンガン鳴らしていたのが印象的。
そして、釜石駅からおよそ50分、旧南リアス線の起終点、かつ三陸鉄道リアス線の起終点である盛駅に到着しました。私の場合、始発列車から途中下車・乗車しながらだったので、足掛け10時間ほどになりました。
まずは釜石駅前にあるラグビーのモニュメント。正式名称があり、「巨大なラグビーボールと猫選手」というのだそうな。
釜石市といえば、前にラグビーの街という側面を鵜住居駅で見せていましたけど、もう一つの顔として、鉄の街があります。
その近代製鉄の父となったのが、大島高任(たかとう)です。
その像の横に建てられたのが、鉄のモニュメントと呼ばれるもの。近代製鉄150周年となった2007年の12月1日(鉄の記念日)に設置されました。上部には日本製鉄釜石製鉄所で燃えていて保存されていた高炉の火の一部を分けてもらって灯されています。その灯も東日本大震災で消えてしまったものの、その年の鉄の記念日に再点灯されました。
ここには井上ひさしさんが作詞した曲のモニュメントもあります。幼少の頃に釜石市に住んでいたことがあるからだそうです。
こちらは、復興の鐘。全国から資金(うちわを売って得た利益)を集めてできたものです。
駅周辺を巡った後、鵜住居駅から歩いて10分弱にある釜石鵜住居復興スタジアムに向かうことに。
というわけで、今回の目的の一つ、釜石鵜住居復興スタジアムにやって来ました。2018年に完成した球技専用のスタジアムです。
この日は天気がよく、スタジアムの掲揚塔にはこいのぼりが、こどもの日(5/5)よりも6日ほど早く掲げられていました。
こちらがメインスタンド。
こちらが、その問題になる芝。丁度伸びた芝の刈り取りが行われていました。
そして、ラグビーの街釜石らしいものが、こんなところにも。
この釜石鵜住居復興スタジアムから眺められるのは、鵜住居小学校・釜石東中学校および鵜住居保育園。
再び鵜住居駅前に。
もう少し食べたいと思って、隣にあるつるりで「鵜潮めし」をチョイス。あ、つるりは麺類の店で、そばやうどん、釜石ラーメンやラガーラーメン(辛味噌ラーメン)といういかにもラグビーの街らしいものが頂けます。
田老駅からおよそ1時間50分。随分長いこと揺られたり待たされたりした中、鵜住居駅で途中下車。
待合室はとても華やかに仕上がっており、愛称である「トライステーション」の文字が。
しかし、ここで困ったことが。
とりあえず、見に行きたいところに行こう。
入ってすぐのところにあるのは、この鵜住居地区で犠牲になった人達の慰霊碑。
少し上がったところには、釜石市の防災市民憲章が掲げられています。
そこまで徹底しているのは、ここが鵜住居地区の防災センターのあった場所だからです。
そしてこちらが、いのちつなぐ未来館という東日本大震災の被害を後世に伝える施設。
ここには、近くにある釜石東中学校の生徒が作った課題が展示されています。
この鵜住居で忘れてはならないのは、津波てんでんこの伝承を守り、自主的に高いところへ避難した「釜石の奇跡」と呼ばれる行動です。
これは、東日本大震災が発生した際、津波が来る可能性を予見し、高いところへ逃げることを決めたものの、その避難先も危険だということで、さらに高いところへ逃げたという話です。その際には、鵜住居小学校・釜石東中学校、そして鵜住居保育園と近所の方々や教員達が力を合わせて助け合いながら高台へ逃げるという連携も取れていたそうです。
ちなみに、まだ駅前広場は建設の真っ只中。
田老駅から少し歩くと、ソーラーパネルの一群が。
そこからさらに歩くと、今回見たかった田老の防波堤のほぼ全容が見られます。
その津波の高さを示すものが、あちこちに残っていました。
ここは、逆に高台にあったことで被災を免れたことがよくわかります。
駅から歩いておよそ10分ほど。見えてきたのが、田老市営野球場。宮古市が管理する野球場です。
右翼側には巨大なフェンスが設置されていますが、赤矢印の部分には、津波の高さを示す看板が設置されています。津波の高さは、このフェンスから見たら低いですけど、平屋の家は飲み込める高さではあります。
田老市営野球場から道の駅たろうを経由して歩くこと10分位(田老駅からおよそ20分位)ですか。今回もう一つの最大の目的地であるたろう観光ホテルにやって来ました。
こちらが、現在の姿。
その1階・2階部分。先程話した通り、壊滅的な被害を受けています。
こちらは、1級登記基準点。たろう観光ホテルの前にあります。
田老駅からおよそ20分。旧北リアス線の起終点である宮古駅に着きました。
十府ヶ浦海岸駅からおよそ50分、今度は島越(しまのこし)駅で途中下車。島越駅は、三陸鉄道の被害(旧JR山田線区間を除く)の中で最も酷かった区間にあり、再建までおよそ3年掛かっています。
駅舎の中には展示室があり、震災の模様とその復興の展示、そして在りし日の島越周辺の模型が飾られていました。
この駅から歩いて数分のところにあるのが、島越ふれあい公園。
公園名標の横には、これまた在りし日の島越の写真が掲載されています。
ここには、明治・昭和・平成に襲った大地震によって発生した津波で犠牲になった人達を弔う追悼記念碑があります。
その隣には、旧島越駅の階段が残されています。
そのさらに隣には、宮沢賢治の詩碑(「発動機船 二」)が残されています。こちらも震災遺構の一つで、旧島越駅の階段と同様に奇跡的に残ったものです。
この公園には、「津波高表示塔」というモニュメントのようなものがあります。
久慈駅を出発して20分ほど、久慈駅から数えて3駅目の十府ヶ浦海岸駅で途中下車。
この駅と線路に沿って大きな公園が整備されています。十府ヶ浦公園という津波防災緑地です。
この公園には、ほたてんぼうだいという海などの景勝地を一望できる施設があります。
こちらが、十府ヶ浦(海岸)。小豆色の砂なので、小豆浜とも呼ばれています。リアス式海岸の続く三陸の海の中でも珍しく立派な海岸線になっています。
十府ヶ浦の地名が書かれた碑もこのように根こそぎ津波で持って行かれております(実際は上部分を切り取って残したものらしい)。
近くにあった綿津海神社も跡形も無くなっています。
実は、津波の脅威は東日本大震災の時だけではなかったのです。
そのそばには、「東日本大震災 大津波記念碑」が置かれています。
駅のそばには、「震災遺構 米田歩道橋」があります。
さて、いよいよ三陸鉄道に乗って南下する当日。
朝一の列車に乗るために、いそいそと向かう中でも、撮るものは撮っていく(笑)。
近くの料理店では、片桐はいりさん演じる役のイラストも。まめぶ汁美味そうだな・・・。
久慈市のトピックといえば、三陸鉄道の一本化。
その下には、北の海女と三陸鉄道(作中では北三陸鉄道)乗務員のイラストが。
駅前にあるデパートには、作中に出てきたものと思しきものが描かれております。
そのデパートの下には、久慈市の歓迎幕もありました。
さて、やって来ました三陸鉄道リアス線久慈駅。
そんな三陸鉄道リアス線では、色々なおトク切符があります。
今回は、南下するだけなので、片道のみ有効な途中下車可能な2日分の乗車券を買いました。
先程も書きましたが、三陸鉄道は3/23から一本化されました。
こちらは、全線復旧を記念したもの。
全線開通(一本化)ののぼりには、「鉄道むすめ」のキャラが描かれております。
こちらが、今回始発になる列車。
一番最初に乗る列車は、「かいけつゾロリ」のキャラが描かれた「かいけつゾロリ 大冒険号」でした。
北の終点を眺める。
それがこちら。Yahoo!が行った「応援改札」という震災復興応援プロジェクトです。