2019年05月10日

平成最後の東北に向かう⑨ 盛駅に向かうまで

SHV39_4950釜石駅から盛駅行きの列車に乗って、いよいよ三陸鉄道リアス線での旅もクライマックスになりました。
旧南リアス線の駅数は10個。リアス線そのものがリアス式海岸の影響でトンネルが多く、旧南リアス線も例外ではないのですが、このような絶景も見られます。これは旧北リアス線・旧JR山田線でも同様。じゃあ何でそんな写真が無いのかって?先頭の方に乗ると車窓が見られないんだよ・・・。次回は車窓の眺められる場所にしよう。先頭は、座席が無いかつ座席の場所からだと見辛いのよね。たぶん盛駅から北上だと見やすいのかもしれないが。



SHV39_4951そんな中で、途中の恋し浜駅で、列車はしばらく停車してくれます
最初の写真は、駅舎から見た景色。遠くに海が見えます。
恋し浜駅は、ホタテの養殖で有名で、駅名もブランド名から採っています



SHV39_4952駅名票の隣にある「幸せの鐘」。こちらには、先程のホタテ「恋し浜」・きらめく星・翼を持つ天使が彫られたステンレス製の透かし彫りがあります。鐘は実際に鳴らせるので、ガキンチョがガンガン鳴らしていたのが印象的。
この駅には、「ホタテ貝の絵馬掛け」の飾られた待合室もあり、恋愛成就の意味もあるのだそうな。
東日本大震災の時には、高台にあったことが幸いし、駅ホームなど駅舎は無事だったものの、周辺の路盤流出に伴って運休を余儀なくされました(運転再開は2014年)



SHV39_4953そして、釜石駅からおよそ50分、旧南リアス線の起終点、かつ三陸鉄道リアス線の起終点である盛駅に到着しました。私の場合、始発列車から途中下車・乗車しながらだったので、足掛け10時間ほどになりました

車窓から見えるその先は、セメント企業の関係路線とBRT(バス・ラピッド・トランジット)のバス
この先のJR大船渡線は気仙沼駅までの区間が現在運休中で、BRTによる代行区間になっています。三陸鉄道が、この先、つまり気仙沼駅まで路線を復活させるのかは不明です。仮にそれを実行すると、敷設費用にかなりの金額をつぎ込むことになり、大変なことになるでしょう。個人的には、陸前高田市くらいまでは伸ばしてほしいと思いますが、並大抵のことでは難しいでしょうね。また気仙沼駅は宮城県にあるので、岩手県の三陸鉄道が、そこまでやるかとも思っています。ただ、その先には岩手県一関市があるんですよね・・・。



さぁ、ここまで無事に着けた。この日の夜にバスの予約を入れているので、どうしても仙台までは行かないといけないBRTから気仙沼まで行ってそこからJRと新幹線を乗り継いで仙台まで行くか、高速バスで一気に仙台まで行くか。できるだけ早く帰れるなら・・・ということで、盛駅から少し歩いたところにある高速バスのバス停に。


次回は、そこから話していきます。何せ驚きの顛末になったのですから。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 23:37Comments(0)

2019年05月09日

平成最後の東北に向かう⑧ 釜石駅にて

鵜住居駅からおよそ15分。旧JR山田線の起終点だった釜石駅に到着。今回乗った列車は、この駅止まりなので、次の列車が来るまで約20分待つことになります。次の列車が来る少し前にならないと乗れないので、しばらくは駅前を散策しましょうか。


SHV39_4949まずは釜石駅前にあるラグビーのモニュメント。正式名称があり、「巨大なラグビーボールと猫選手」というのだそうな。
こちらは、三陸鉄道リアス線全通(一本化)を記念して、「三陸鉄道を勝手に応援する会」より送られたものです。



SHV39_4941釜石市といえば、前にラグビーの街という側面を鵜住居駅で見せていましたけど、もう一つの顔として、鉄の街があります。

江戸時代末期から西洋式の製鉄業が勃興され、明治時代に日本で一番古い官営の製鉄所が開業します。この製鉄所は後に民営化(払い下げ)され、現在の日本製鉄(旧新日鉄住金)釜石製鉄所に繋がっていきます
ただ、平成に入ってから製鉄業は行われておらず、線材と呼ばれる鉄製品の製造をメインに行っていますこの製鉄所も東日本大震災で一部が被災しています。



SHV39_4947その近代製鉄の父となったのが、大島高任(たかとう)です。



SHV39_4944その像の横に建てられたのが、鉄のモニュメントと呼ばれるもの。近代製鉄150周年となった2007年の12月1日(鉄の記念日)に設置されました。上部には日本製鉄釜石製鉄所で燃えていて保存されていた高炉の火の一部を分けてもらって灯されています。その灯も東日本大震災で消えてしまったものの、その年の鉄の記念日に再点灯されました。



SHV39_4945ここには井上ひさしさんが作詞した曲のモニュメントもあります。幼少の頃に釜石市に住んでいたことがあるからだそうです。
左が♪釜石小学校校歌、右は♪ひょっこりひょうたん島。そういえば、作中のモデルは吉里吉里だという話を聞いたことがあるなぁ・・・。吉里吉里という地名の出てくる作品もあるし。結構縁が深いわなぁ。



SHV39_4942こちらは、復興の鐘全国から資金(うちわを売って得た利益)を集めてできたものです。
青銅製の鐘には、鎮魂・復興・記憶・希望の文字が四方にあります。



そうこうしているうちに、改札が開いた。私は切符を持っていたので早かったのですけど、一部の人は切符を買ってからだと思うので、大変だったろうなぁ・・・。

旧南リアス線の起終点にもなる釜石駅は、5つあるホームの1つのみ。他は基本的にJRのホームになるのですが、直通運行がなされた今、JRのホームも三陸鉄道として使っております


さぁ、盛駅行きの列車がやって来た。それに乗っていよいよ本当に盛駅に向かいます。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:25Comments(0)

2019年05月08日

平成最後の東北に向かう⑦ 鵜住居駅にて 後編

SHV39_4922駅周辺を巡った後、鵜住居駅から歩いて10分弱にある釜石鵜住居復興スタジアムに向かうことに。
こちらは、いのちをつなぐ未来館にある手書きのアクセス。え、こんなに大回りしないといけないの・・・と思われたでしょうけど、半分当たりで半分ハズレ
実際は、そこまで大回りしなくてもいい。ただ実際に直行で行けるようにはなっていないのも事実
私は建設中の釜石市民体育館の脇道を通って、坂になっている鎧坂橋へ向かう道を少し下がるような格好で向かい、あるところでUターンして坂を上り、踏切を越えて、鎧坂橋を渡る流れで釜石鵜住居復興スタジアムに向かいました。もっとも、大勢の人達が同じ場所に向かう際には、このルートは現実的ではないわけで(基本的に道が狭く、往来が難しい)。ゆえに、今回のようなルートが推奨されたのでしょう。



SHV39_4926というわけで、今回の目的の一つ、釜石鵜住居復興スタジアムにやって来ました2018年に完成した球技専用のスタジアムです。



SHV39_4932この日は天気がよく、スタジアムの掲揚塔にはこいのぼりが、こどもの日(5/5)よりも6日ほど早く掲げられていました。



SHV39_4928こちらがメインスタンド。


このスタジアムは、2018年に完成。2019年に開催するラグビーのワールドカップの予選会場(国内唯一の新設)として使われます。新国立競技場は完成までに間に合わなかったから、会場に選定されなかったんだよね・・・。
とはいえ、現在も建設中で、この先開催日までに仮設席の設置などが行われます最大で16,000席、仮設席撤去後は6,000席になります。席は地元の木材の他、旧国立競技場や東京ドームなどの座席を譲り受けております。なお、ラグビーワールドカップを開催する関係上、席は全て個席になります。
普段は、釜石市に本拠のあるラグビージャパントップチャレンジリーグ(2部)の釜石市シーウェイブスが本拠地として構える他、サッカーJ3のいわてグルージャ盛岡も開催地として利用する予定を表明しています。
ただ、ラグビーとサッカーは芝のコンディションでも異なっているので、先日秩父宮ラグビー場でサッカーの試合をやった時のような苦労をするのではないかなとも。



SHV39_4931こちらが、その問題になる芝。丁度伸びた芝の刈り取りが行われていました。
実は、この芝はハイブリット芝と呼ばれるもので、天然芝に人工芝を絡ませて天然芝を強化する方式が採られています。この方式を採ることで、ラグビーのように激しい動きをするスポーツでも芝が剥げにくくするような工夫がなされています。サッカーでもノエビアスタジアムでこの方式が特例で採られており、建物の構造上の理由で天然芝の育ちにくいスタジアムで天然芝を守るためにも活用されているのです。



SHV39_4935そして、ラグビーの街釜石らしいものが、こんなところにも。
自動販売機には、ラグビーのイラストなどラグビーを盛り上げるプリントが施されています。



SHV39_4936この釜石鵜住居復興スタジアムから眺められるのは、鵜住居小学校・釜石東中学校および鵜住居保育園
実は釜石鵜住居復興スタジアムは、鵜住居小学校・釜石東中学校および鵜住居保育園跡地に建っていたのです。東日本大震災によって建物が破壊されたため、更地にしてスポーツ公園建設用地として充てられたのです。



SHV39_4937再び鵜住居駅前に。
お腹が空いていたので、鵜の郷交流館にある食堂の汐折(しおり)で腹ごしらえ。
色々あったけど、贅沢と清水の舞台から飛び降りるを両方体験したく、「いくら丼定食」に。



漁協産直ということなので、鮮度は悪くない。そしてほやなどの海鮮の付け合わせも美味かったです。


SHV39_4938もう少し食べたいと思って、隣にあるつるりで「鵜潮めし」をチョイス。あ、つるりは麺類の店で、そばやうどん、釜石ラーメンやラガーラーメン(辛味噌ラーメン)といういかにもラグビーの街らしいものが頂けます



鵜住居は漁港もあったということで、このような名前になったんでしょうね。素朴な味の海鮮風味のおにぎりと言っていいのでしょうか。奇をてらったものではないですが、悪くないですよ。


いやぁ、あっという間に2時間半経っちゃった。もっと時間があってもいいかなとも思ってしまった。だって土産も売ってるから、じっくり選びたかったもんねぇ。まさかこのことを見越して三陸鉄道は時間を大きく取っているのではないかと邪推してしまいましたよ。


鵜住居駅周辺を思い切り堪能して、いよいよ南の起終点になる盛駅を目指していきます


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:36Comments(0)

2019年05月07日

平成最後の東北に向かう⑥ 鵜住居駅にて 前編

SHV39_4906田老駅からおよそ1時間50分。随分長いこと揺られたり待たされたりした中、鵜住居駅で途中下車
旧JR山田線の駅の一つで、今回旧JR山田線で唯一下車した駅です。
島式の2面ホームで、踏切を渡って外へないしはホーム内に入ります。



SHV39_4939待合室はとても華やかに仕上がっており、愛称である「トライステーション」の文字が。

三陸鉄道リアス線は全てに愛称が付いており、今回立ち寄った駅では、十府ヶ浦海岸駅には「はまなす香る砂浜」、島越駅には「カルボナード」(宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」に出てくる舞台の一つであるカルボナード火山島から)、田老駅には「銀色のしぶき」、宮古駅には「リアスの港」という愛称があります。



SHV39_4999しかし、ここで困ったことが。
降りたのはいいけど、ここで降りるとおよそ2時間半の待ちになってしまう(黄色く囲ったところが、鵜住居駅の時刻表の一部。赤字が今回乗ってきた列車の発車時刻、青字は次に乗りたい列車の発車時刻)。見に行くところはたかが知れているし、さすがにこんなに時間は潰せまい・・・と、この時ばかりは思っておりました。



SHV39_4918とりあえず、見に行きたいところに行こう。


最初は、釜石祈りのパークというところ。まだまだ整備中の様相を呈していますが、東日本大震災の日である3/11(2019年)に開園しています。
貼り紙が貼ってありますけど、あれは落とし物の案内。



SHV39_4910入ってすぐのところにあるのは、この鵜住居地区で犠牲になった人達の慰霊碑
ものすごく多くの方が亡くなった、あるいは行方不明になっていますが、この理由は後程。



SHV39_4911少し上がったところには、釜石市の防災市民憲章が掲げられています。
これは、「備える」・「逃げる」・「戻らない」・「語り継ぐ」からなっており、東日本大震災の時に味わった問題点を洗い出して作られた、いわば教訓のようなものです。避難訓練の大切さ・安全な場所へ早く逃げることの重要性・戻らないかつ戻らせない決断力・災害から学んだ生き抜く知恵を後世に伝えることを解いています。



SHV39_4917そこまで徹底しているのは、ここが鵜住居地区の防災センターのあった場所だからです。
自然災害から守るために設置されたこの防災センターでしたが、地震の時の避難設備として整備されたわけではなく、あくまで災害時の対策本部としての役割しか持っていなかったと言われています。ところが、普段から避難訓練の避難先としてこの場所が選ばれ、かつ『防災』という名称も仇になり、実際東日本大震災の時も大勢の住民がこの場所に避難してきました
そして、地震発生後に起こった大津波によって建物のほとんどが水をかぶる形になり、わずかな隙間に息も絶え絶えで浮かんでいた人達も、掴むものが無かったり体力の限界、水が引いても衛生面や低体温症などで命を落としていったと言われています。何ともやるせない話です。



SHV39_4920そしてこちらが、いのちつなぐ未来館という東日本大震災の被害を後世に伝える施設
先程の話は、この中で詳細が語られています。内容を見るだけで、何とも私達は名前だけで安全だと思ってしまったのかと嘆いてしまうほどです。この場所へ逃げた人には罪はないですが、慢心で亡くなっていったのだと思うと、やはり心の中で何か引っ掛かってしまうのよ。



SHV39_4921ここには、近くにある釜石東中学校の生徒が作った課題が展示されています。



SHV39_4923この鵜住居で忘れてはならないのは、津波てんでんこの伝承を守り、自主的に高いところへ避難した「釜石の奇跡」と呼ばれる行動です。




SHV39_4924これは、東日本大震災が発生した際、津波が来る可能性を予見し、高いところへ逃げることを決めたものの、その避難先も危険だということで、さらに高いところへ逃げたという話です。その際には、鵜住居小学校・釜石東中学校、そして鵜住居保育園と近所の方々や教員達が力を合わせて助け合いながら高台へ逃げるという連携も取れていたそうです。
当時の子供達は、奇跡でも何でもなく、当たり前のことをやっただけ、普段訓練で行ったことをやっただけと述べており、釜石市自体も奇跡ではないと認識しています。ただ、普段から防災を意識し、訓練を積み重ねることの重要性という点、そして自主的に行動するという点では、この出来事は非常に重要だと思います。



SHV39_4908ちなみに、まだ駅前広場は建設の真っ只中。
隣には釜石市民体育館が完成する予定です。この規模から考えるに、B3リーグに所属している岩手ビッグブルズの試合会場一つになるんじゃなかろうかと。
そういえば、J3のいわてグルージャ盛岡もこの岩手ビッグブルズもあまり宣伝が無かったなぁ・・・。
盛岡は旧ロゴの自販機を久慈駅で、岩手ビッグブルズも久慈駅でのぼりを見ただけだったわ・・・。岩手県は本州一広い県とはいえ頑張って宣伝しないと。



この後も、鵜住居駅で見に行くところがある。新聞で見て行っておこうと思ったんですよねぇ。次回はそこを見てきます。そして、お腹空いたんでメシ食います。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:18Comments(0)

2019年05月06日

平成最後の東北に向かう⑤ 田老駅と宮古駅にて

島越(しまのこし)駅からおよそ25分、田老駅で途中下車今回の旅の中で一番行きたかった場所が、この田老地区だったんですね。


SHV39_4902田老駅から少し歩くと、ソーラーパネルの一群が。
恐らくこのあたりの電力を賄うためのものだと思われます。近くの建物には、「みなさま復興ありがとう」の一言が。



SHV39_4901そこからさらに歩くと、今回見たかった田老の防波堤のほぼ全容が見られます

田老地区は昔から「津波太郎」と呼ばれるほど津波の多かったところで、江戸時代には村が壊滅した、明治時代の明治三陸地震の津波でも壊滅した記録が残っています(その後、集団移転の話が持ち上がったものの、最終的には津波の危険が残る今の場所で再建された)
昭和三陸地震の津波後、堤防の建設が要望として出され、戦前に着工。戦争中の中断を経て、25年掛けて海面から10mの高さがある大防波堤が完成。その後着工から半世紀掛けてX字型の大防波堤を完成させます。
この防波堤は1960年のチリ沖地震の津波を防いだ(実際は3.5mほどで堤防には達しなかったものの、堤防によって損害が軽微になったと喧伝された)ことで有名になり、国内外から視察が相次いだ時期がありました。
この出来事を機に、防災の町としての意識が高まり、平成の大合併で宮古市の一部になっても継続されました。
ところが、東日本大震災では、この堤防を越える津波が襲来し、田老地区には甚大な被害が発生200人近い死者・行方不明者が出るに至ります。住民の防災意識は、かえってこの防波堤があることで過信してしまったのではないかと言われています。
漁師町という地域柄、高台への集団移転を拒んだ住民も、東日本大震災以降は集団移転を受け入れ、現在の田老地区には高台にあった家屋を除いてほとんどありません。
なお、大堤防は現在修復再建中です。取り壊そうという動きもあったそうですが、この堤防でさらに酷くなるはずだった被害を抑えることができたという評価が挙がったためです。



SHV39_4891その津波の高さを示すものが、あちこちに残っていました。
この神社は、恐らく再建されたんでしょうね。



SHV39_4900ここは、逆に高台にあったことで被災を免れたことがよくわかります。



SHV39_4893駅から歩いておよそ10分ほど。見えてきたのが、田老市営野球場宮古市が管理する野球場です。
ネスレのキットカットと三陸鉄道とのコラボで2016年に再建されました。そのため、キット、サクラサク野球場という通称が付いています
両翼92m、中堅120mとプロ仕様の野球場ですが、照明設備やスタンドの問題で、さすがにプロ野球は開催できない。



SHV39_4892右翼側には巨大なフェンスが設置されていますが、赤矢印の部分には、津波の高さを示す看板が設置されています。津波の高さは、このフェンスから見たら低いですけど、平屋の家は飲み込める高さではあります。



SHV39_4898田老市営野球場から道の駅たろうを経由して歩くこと10分位(田老駅からおよそ20分位)ですか。今回もう一つの最大の目的地であるたろう観光ホテルにやって来ました。
とはいっても、現在は営業はしておりませんホテルそのものも、渚亭 たろう庵という名称で高台に移転して再開しています。
こちらは、在りし日の姿を収めた説明書き。



SHV39_4896こちらが、現在の姿。

たろう観光ホテルは、1986年に完成した建物で、東日本大震災の時には2階までが壊滅的な被害を受けたものの、基礎と3階より上の部分の損害は軽微(津波で4階まで浸水)で、避難施設としての機能を果たしました
残すか取り壊すかの議論が起こる中で、所有者だったホテルは保存を選択し、2013年に国からの補助を受け、保存に向けての活動も行われました。その後、震災遺構第1号となり、所有者も宮古市に移って、学ぶ防災として生かされています
予約制だったので、今回は行けなかったのですが、6階部分に上がって当時の津波の惨状を記録した動画を見ることもできます



SHV39_4897その1階・2階部分。先程話した通り、壊滅的な被害を受けています。



SHV39_4894こちらは、1級登記基準点たろう観光ホテルの前にあります。
東日本大震災により南東に2.18m移動し、0.31m沈下しています。移動する前の地点も併せて設置されており、地震の脅威が伝わってくる場所でもあります。



現在この地域には新駅が建築される予定が挙がっています。新田老駅という新駅の開業によって、野球場や道の駅、さらにたろう観光ホテルへ向かうのにも便利になることでしょう。私自身も、まだいろいろと回りたいところがあったのですが、1時間20分あったのに全然時間が足りない・・・


SHV39_4905田老駅からおよそ20分。旧北リアス線の起終点である宮古駅に着きました。
今回乗っている列車は盛駅までの直行列車なので、この駅で15分停車します。
ここから旧JR山田線に入ります。最も被害が甚大で、最も復旧に困難を極めた路線でもあります。



人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:59Comments(0)

平成最後の東北に向かう④ 島越駅にて

SHV39_4873十府ヶ浦海岸駅からおよそ50分、今度は島越(しまのこし)駅で途中下車島越駅は、三陸鉄道の被害(旧JR山田線区間を除く)の中で最も酷かった区間にあり、再建までおよそ3年掛かっています

写真は2014年に再建された駅舎(正式オープンは2015年)。初代の面影を残したものになっております。この建物は、クウェートとクラブツーリズムの援助によって再建されています。
駅周辺は震災後にかさ上げされた地域になっています。



SHV39_4887駅舎の中には展示室があり、震災の模様とその復興の展示、そして在りし日の島越周辺の模型が飾られていました。



SHV39_4874この駅から歩いて数分のところにあるのが、島越ふれあい公園
ここは旧駅のあった駅前広場にあたる部分でした。かさ上げ工事と共に整備された公園です。



SHV39_4875公園名標の横には、これまた在りし日の島越の写真が掲載されています。
かつて島越地区は海水浴場が設けられるほどの大きな海岸がありましたが、東日本大震災で流出し、その後河口に設置される水門の工事のため利用できなくなっています



SHV39_4876ここには、明治・昭和・平成に襲った大地震によって発生した津波で犠牲になった人達を弔う追悼記念碑があります。
右が「明治・昭和大津波追悼記念碑」、左が「東日本大震災津波記念碑」になります。
ちなみに、東日本大震災の際、島越地区の震度は4だったそうですが、その後に襲った津波が17.9mだったそうです。津波による被害がいかに甚大だったかがわかる話です。



SHV39_4878その隣には、旧島越駅の階段が残されています
東日本大震災の津波に駅舎などが壊滅した中でも奇跡的に残った、震災遺構の一つです。



SHV39_4879そのさらに隣には、宮沢賢治の詩碑(「発動機船 二」)が残されています。こちらも震災遺構の一つで、旧島越駅の階段と同様に奇跡的に残ったものです。



SHV39_4884この公園には、「津波高表示塔」というモニュメントのようなものがあります。
先程17.9mの津波が襲い掛かって来たと書きましたけど、イマイチピンと来ないと思った方もいたことでしょう。しかし、このモニュメントを見れば、いかに津波が大きかったのかが一目瞭然です。しかも、このモニュメントの先端が鉄道のかさ上げした部分からでも見えるのです。いかに東日本大震災の津波が大きかったのかが本当にわかります。



島越駅の駅前はある程度再建が進んでいるものの、まだ河口の水門や堤防など一部で工事が残っています。本格的な再建はまだまだ先の話になってしまっているのかなと感じました。


およそ1時間の待ち時間も、なぜか短く感じられるほどあっという間に。本当に駅周辺を見ただけなのに、駅舎の売店で温かい飲み物ないかなとか探していた(結局無かった)だけだったのに・・・。

それでも少し遅れながらも列車はやって来る。これに乗って先に進みます。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 22:45Comments(0)

2019年05月05日

平成最後の東北に向かう③ 十府ヶ浦海岸駅にて

SHV39_4855久慈駅を出発して20分ほど、久慈駅から数えて3駅目の十府ヶ浦海岸駅で途中下車
写真はその前の車窓の景色。見てわかる通り、海の波間が見えないほどの大きな防波堤が築かれていました。それだけ大きな津波が襲い掛かってきたということでしょう。



十府ヶ浦海岸駅は2019年5月現在、三陸鉄道の中で最も新しい駅になります。しかし、過去にも臨時ながらも駅として設けられた時期(1986年~1992年の夏季および1997年のイベント時)があります。それでも設置に至ったきっかけは、震災後に宅地ができたことによるもの。ホーム1面と小さな待合室しかない駅ですが、付近住民にとっては、とても重要な駅なのです。


SHV39_4862この駅と線路に沿って大きな公園が整備されています。十府ヶ浦公園という津波防災緑地です。
大きく5つに分けられ、海浜運動広場・野鳥のもり・多目的運動広場・のんちゃんパーク・環境保全広場となります。なお、ここで挙がっているのんちゃんとは、野田村のマスコットキャラです。
また、津波防災緑地になっている通り、ここは東日本大震災を忘れず、この地には住宅を建設しないという意味も込められています
この掲示板の横には、東日本大震災時の推測津波浸水位が付いているのですけれども、およそ私の腰かそれより少し上の辺りまで来ていましたね。1m弱というところでしょうか。



SHV39_4861この公園には、ほたてんぼうだいという海などの景勝地を一望できる施設があります。
丁度国道45号の道すがらにあるので、休憩地としてもいいかなとも。もっとも、道の駅が北にもう少し走ればあるそうですけど・・・。



SHV39_4859こちらが、十府ヶ浦(海岸)小豆色の砂なので、小豆浜とも呼ばれています。リアス式海岸の続く三陸の海の中でも珍しく立派な海岸線になっています。
こちらが三陸復興国立公園(旧陸中海岸国立公園)の一部になるのですけど、東日本大震災の津波によって砂浜が大きく削られてしまいました



SHV39_4856十府ヶ浦の地名が書かれた碑もこのように根こそぎ津波で持って行かれております(実際は上部分を切り取って残したものらしい)。



SHV39_4857近くにあった綿津海神社も跡形も無くなっています。



SHV39_4866実は、津波の脅威は東日本大震災の時だけではなかったのです。
こちらは、昭和三陸地震の際の津波を忘れないように碑にした「津浪記念碑」。先程紹介した綿津海神社にあったのですが、津波で倒され、後に高台に移築されました。



SHV39_4865そのそばには、「東日本大震災 大津波記念碑」が置かれています。
3枚の石板は扉のように海に向かって開いており、3つの防波堤(海岸の防波堤・三陸鉄道や国道45号・十府ヶ浦公園の盛り土)を表しています。また全体では海に対する畏敬の念・追悼の場・ふるさと・未来も表しています



SHV39_4870駅のそばには、「震災遺構 米田歩道橋」があります。
元々米田川という川を渡るための歩道橋だったのですが、東日本大震災の津波で大きく破壊されたその時の残骸です。後に水門は河口そば(防波堤に組み込まれる形)に再建されました。
津波の破壊力を思い知らされ、恐らく触ることもできる数少ない施設になるかと。



次の列車が来るまで40分ほど待つことになっていたのですが、その40分はあっという間に過ぎていきました。それだけ見どころの多い場所だと思います。絶景を眺めているだけでも時間は大きく過ぎていくことでしょう。
震災を知るだけでなく、三陸の美しい風景を見るために訪れてもいいでしょう。かなり寒い(実際この日も寒かった)ところですけど、初日の出を見るのにもいいでしょうね。


次に来た列車に乗って、今度は島越駅に向かいます。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)

2019年05月04日

平成最後の東北に向かう② 久慈駅にて

SHV39_4838さて、いよいよ三陸鉄道に乗って南下する当日。
朝一番の列車が午前5時なので、近所にコンビニはあるものの、駅とは反対方向になることから、時間が無くなると困る。何より何にも無いというオチもあるかと思い、八戸駅にあるNewDaysで買った工藤パンのお世話に。
左が、4月の新商品の「イギリストースト 津軽産りんごジャム&はちみつ風味クリーム」
同社の商品である「イギリスブレッド」に津軽産りんごを使用したジャムとはちみつ風味クリームをサンドした一品です。パッケージには、太宰治の小説「津軽」の初版本表紙がプリントされています。今年は太宰治生誕110周年だそうで・・・。
右は、以前紹介した「イギリストースト 小倉&マーガリン」。やはり、「イギリストースト」といったらコイツだわ(ニヤニヤ)。



うーむ、はちみつの甘さとりんごジャムの甘酸っぱさがいい塩梅ですなぁ。小倉の甘さもいいんだけど、甘酸っぱさの塩梅が利いたこの商品も捨てがたい。
「イギリストースト 津軽産りんごジャム&はちみつ風味クリーム」は期間限定商品なので、青森に行く機会があったら、是非とも。


SHV39_4840朝一の列車に乗るために、いそいそと向かう中でも、撮るものは撮っていく(笑)。
まずは、あまちゃんハウス朝ドラの「あまちゃん」関係の展示を行っているところらしい。当然ながら営業時間外(9時~17時)。
実は、この場所は4/1にリニューアルオープンしたのだそうな。それまではここより西のところにあったものの、2016年に来襲した台風10号の水害で今の場所に移ったらしい。



SHV39_4841近くの料理店では、片桐はいりさん演じる役のイラストも。まめぶ汁美味そうだな・・・。



SHV39_4843久慈市のトピックといえば、三陸鉄道の一本化。
駅前の建物にも全線開通の横断幕が屋上に飾ってありました。



SHV39_4842その下には、北の海女と三陸鉄道(作中では北三陸鉄道)乗務員のイラストが。
久慈市は、海女の北限として知られており、大勢の観光客がやって来るとのこと。



SHV39_4845駅前にあるデパートには、作中に出てきたものと思しきものが描かれております。



SHV39_4846そのデパートの下には、久慈市の歓迎幕もありました。



SHV39_4847さて、やって来ました三陸鉄道リアス線久慈駅
かつては北リアス線の起終点として機能しておりましたが、今は一本になったリアス線の起終点となりました。

起終点ということもあって、券売機が備えられております。
三陸鉄道リアス線は、ワンマン運行になっているので、有人駅(宮古駅・盛駅など)以外では車内で出る乗車券を取って、下車時に清算という流れになります。



SHV39_4848そんな三陸鉄道リアス線では、色々なおトク切符があります
旧北リアス線のみで乗車できるものから往復で乗車できる2日分の乗車券まで色々ある中・・・。



SHV39_4960今回は、南下するだけなので、片道のみ有効な途中下車可能な2日分の乗車券を買いました。
実は3,710円するのですが、これは久慈駅から盛駅まで乗っていた場合この切符なら戻らなければ何回でも途中下車できるので、結構リーズナブルになります。しかも2日分なので、途中で一泊してもいい今回は1日のみしか使っていないですけど、2日分ということを考えれば、かなり破格ですよ。



SHV39_4849先程も書きましたが、三陸鉄道は3/23から一本化されました
三陸鉄道リアス線は、旧北リアス線(旧国鉄久慈線・旧国鉄宮古線)・JR山田線の一部・旧南リアス線(旧国鉄盛線)の3路線から成り立っており、国鉄の民営化に伴い、旧南北リアス線が国鉄より移行されました。その後、東日本大震災で一旦全線不通になり、その後旧南北リアス線は再開まで漕ぎ着けたものの、JR山田線の一部(宮古駅~釜石駅)は不通が続き、BRT(バス・ラピッド・トランジット)での運行が模索されていました
このままJRとしてはBRTによる運行をしていきたかったものの、沿線自治体の強硬な反対により進展せず、最終的にはJRが折れて、一部の費用を三陸鉄道と沿線自治体に負担してもらうことを条件に三陸鉄道への移行が決まりました。
今回の一本化によって、全長が163kmとなり、日本で一番長い第三セクター路線になりました(それまでは、青森県にある青い森鉄道の青い森鉄道線の121.9km)。



SHV39_4850こちらは、全線復旧を記念したもの。
ここでいう『全線復旧』とは、旧南北リアス線のことを指します。



SHV39_4851全線開通(一本化)ののぼりには、「鉄道むすめ」のキャラが描かれております。
左が釜石まな(旧南リアス線)、右が久慈ありす(旧北リアス線)。



SHV39_4852こちらが、今回始発になる列車。



SHV39_4853一番最初に乗る列車は、「かいけつゾロリ」のキャラが描かれた「かいけつゾロリ 大冒険号」でした。



SHV39_4854北の終点を眺める。
この先は、JR八戸線。実は、写真には収めていませんが、JRとはレールは繋がっているんです。なので、頑張れば八戸駅まで行ける(ニヤニヤ)。



さぁ、いよいよ出発進行。長い長い三陸鉄道をゆっくり参りますか。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 14:54Comments(0)

2019年04月29日

三陸鉄道を乗り潰す

久慈駅から盛駅まで、三陸鉄道のリアス線をつい先程踏破しました。
途中下車の旅で行っていたため、かなり時間が掛かってますけど、思った以上に待ち時間を有効活用できたのではないかと。結構あるようでないのよ(苦笑)。

その顛末は後日話すとして、ここから一気に仙台まで向かいます。高速バスなので乗れるか心配ですけど(汗)。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 15:33Comments(0)