2022年07月22日

せっかくだから、俺は北九州の隣町を選ぶぜ!

北九州市にある西鉄バスで、平和通からバスに乗ることにしたのですけど、その途中で何件かコンビニに寄ったのに、トイレが無いのは何ともはやあるんでしょうけど、安全面などで貸してくれない・・・というふうなのね、たぶん。

そして、バス停でバスが来るのを待っていたのに、定刻になってもやって来ない。どうやら渋滞に巻き込まれたのか、5分くらい遅れていた


さて、乗ったバスはというと・・・。関門海峡めかり行きというバス。そう、関門海峡トンネル人道入口に向かったのです。もちろん、その先にあるのは山口県下関市。そうです、下関に行ってきたのですよ。


SOG03_105759今回は行ってませんが、巌流島の看板もありました。巌流島は決闘の聖地らしいよ。
なお決闘を実際に行うと、決闘罪に問われるので、やってはいけません(ニヤニヤ)。<過去にタイマン勝負で問われてるけど、最近はほとんど適用されないそうだぞ。



SOG03_101403やって来たのは唐戸市場。下関といったら、ここでしょう(ニヤニヤ)。<高杉晋作臨終の地とかもあるだろうに。
昨今のご時世で、フグにまでマスクが装着されていました。岐阜駅にある織田信長の像にもマスクが装着されているし、三越のライオン像もしかりで、何だか流行りのようにも。



SOG03_104429唐戸市場は結構人でいっぱいでした。昨今のご時世で密になることがはばかられるというのに・・・と言われる方もいらっしゃいましょうけど、この密が無ければ経済も回らないという恐ろしさ今は医療機関がひっ迫しなければ、経済優先の方がいいのかもしれないのですけど、疾病持ちの人は要注意で行動すべきともいう、何とも厄介なご時世なのかな・・・。


そんなことを思いつつ、海寿司がやってるガチャ発見
左がおふく、右がたこみという、それぞれフグとタコの名前から採ったキャラのようです。なお、おふくはボクっ子らしい(笑)。



SOG03_103654そして、福一というところと海寿司というところの寿司屋で寿司を買ってきた。海寿司は先程のガチャをやってたところですね。


福一では、大トロ(左端)とクエ(左端の隣)、海寿司では、つぶ貝(右端の隣)とまぐろ脳天(右端)をそれぞれ買ってきた。まぁいい値段だこと(苦笑)。それでも1貫あたりなら、そんなに高くないのよね。



トロ関係は、名前の通り・・・というのは野暮か。脂の乗りがいいだけじゃなく、食べ応えもあるし、口の中でとろけるのよ。そして脳天は、少しだけ口の中で残るんだけど、ちゃんと最後は消えてしまうので、やっぱりトロの部位なのよ。ちなみに、似たようなところで日の丸というのもありましたが、あれはマグロの大トロの皮の部分らしい。今度チャンスがあったら頂こう。

クエは、身は淡泊ながらもあっさりしているので、何個も頂けそう。つぶ貝は、味が濃い。それでいてコリコリとした食感もいい。鮮度がいいんでしょうね。クタッとしてない。


SOG03_105502これは福一だったかな、「あんこうの唐揚げ」を買いました
前にも書いたと思いますが、あんこうは山口県で一番採れる魚のようです。5年前はそうでしたけど、今はどうなんでしょうね。



揚げているせいなのか、こちらも味は淡泊。噛むと衣の味と魚の旨味がにじみ出るかなという感じ。今回寿司で残ったしょう油を結構ぶっ掛けたからなぁ(爆)。
SOG03_112357最後は、下関駅にて。何だかんだ言って、再び北九州市に、ミクニワールドスタジアム北九州に向かうことにしたのです。
そこで遭遇した115系通称末期色と呼ばれています(苦笑)。いや、ホントは真っ黄色と書くべきなんでしょうけど、誰が呼んだか末期色と銘打たれました(苦笑)。
ただ、これに乗ってしまうと九州ではなく広島方面に行ってしまうので、乗っちゃいけません!ホントに自分も末期色になりかねません(ギャハ)!

ということで、九州に向かう時は、大人しくステンレス製の列車に乗りましょう白地に青いラインが入っているので、わかりやすいよ(たぶん)。



その後は、小倉駅まで舞い戻り、ミクニワールドスタジアム北九州に向かったのでした。それだけかって?それだけ(ギャハ)!<オチ、テキトーだな。


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Posted by alexey_calvanov at 22:38Comments(0)

2018年10月13日

関門を巡る旅⑤

SHV39_3953巌流島から再び唐戸へ。
唐戸は唐戸市場やカモンワーフといった商業施設が並ぶ港町です。かつては貿易港・九州の玄関口としての側面もありました。ゆえに関所もあったんですよ。

写真はカモンワーフ前に置かれたふぐの像かつては日本一の水揚げを誇っていたそうですが、近年は愛知県など他の地域に首位を奪われる格好になっています。でも、やはりふぐと言ったら山口県(下関市)なのよね。ちなみに、今山口県で一番の水揚げを誇っているのは、何とあんこうなのだそうな。



SHV39_3955実は、唐戸はフランシスコ・ザビエルが本州で初めて上陸した場所だそうです。まさかこんなところでザビエルに会えるとは・・・。
・・・来年、名古屋グランパスの試合をここで<シャビエル繋がりで適当なことを言うんじゃない(苦笑)。



SHV39_3954そしてやって来ました、もう一つのメインイベント、唐戸市場日本の生鮮市場としては珍しい、業者向けと一般向けが併存している市場です。そのため、大勢の観光客が訪れる場所になっています。
最近だと旧築地市場や豊洲市場が有名ですけど、基本的には一般人の入れるエリアは限られます。この市場のように市場のほとんどを見て回れるのは珍しいと思います。もちろんほとんどの店で一般人が買い付けられます。

ちなみに、バスで向かうことになるのですけど、最寄りの停留所は基本的に唐戸になります。ただ、壇ノ浦方面から来る時は、もしかすると赤間神宮前の方が近いかもしれません。



SHV39_3960中は非常に活気がありました。
お土産屋もあるので、カモンワーフのお土産屋共々便利なのではと思います。
なお、ここではふぐを頂きました。とはいっても、寿司でですけど(ニヤニヤ)。てっさとかもよかったんだけどねぇ・・・。近くの店で食べればリーズナブルだったかなぁ・・・。



SHV39_3962唐戸市場から道を挟んだ隣には、亀山八幡宮があります。
山陽道の終点を示す碑や日本一のふぐの像などがあり、神社としては結構エンターテインメントな場所になっております。



SHV39_3936こちらは、旧下関英国領事館。かつて下関が貿易港だったことを示す足跡ですね。
今は資料館やカフェ・パブ・レストランなどになっています。



ここから下関市営下関陸上競技場に向かったのは、前に書いた通り。試合後は下関駅から北九州に戻りました。


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Posted by alexey_calvanov at 23:57Comments(0)

2018年10月12日

関門を巡る旅④

御裳(みもすそ)川というところが関門トンネル人道口(および壇ノ浦の戦いの跡があるあたり)のバス停の最寄りになるのですけど、そこからバスで10分位で唐戸というところに着きます
実は、唐戸市場に向かおうと思っていたのですが、ここから巌流島に向かえることを知り、しかももうすぐ出るとのことなので、慌てて切符を購入巌流島行きの高速船に乗るのであった。
でもね、思った以上に揺れるわ。元々潮流の早いところだからというのもあるんだけど、逸れたとはいえ台風の来ていた時だったからねぇ。横揺れがすごかった。しかし一番揺れを感じたのは、陸だと思っていたら、それは浮桟橋だったという事実(爆)。海の方に持って行かれそうで怖かったわ。


SHV39_3937唐戸から高速船で10分ほど。巌流島に上陸です。
この島は、元々船島という名前の島(実際に船の形だった)で、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な島です。巌流島となったのは、この決闘で敗れた佐々木小次郎の剣の流技「巌流」から採ったためとされています。
明治時代に浅瀬(豊臣秀吉が難破して村上水軍に助けられたという逸話もある)が三菱重工業によって爆破され、それが埋め立てに使われ、現在のような形になりました。
埋め立てられ、現在の形になった明治時代にはコレラの保養所として使われ、第2次世界大戦には要塞となって人が近寄ることもカメラを向けることも叶わない時代を経て、戦後には住民の住む島になったものの、1973年に無人島になりました。そして観光の島として現在に至るのです。なお、プロレスファンにとっても巌流島は有名で、アントニオ猪木さんとマサ斎藤さん、馳浩さんとタイガー・ジェット・シンさんが無観客試合を行っています


上陸してすぐに船島神社というお社でお参りに行ったんだけど、結果は以前にお話しした通り(ギャハ)。



SHV39_3943この島には、「小次郎巌流之碑」というものがあります。こちらは先程話した明治時代の浅瀬が三菱重工業によって爆破され、それが埋め立てられたという工事が完了した時に建立されたものだそうです。
当初は島の中央にあったそうですが、今はやや左寄りの場所に移っています
ここでも拝んできたのですけど、結果は(以下略)。



SHV39_3944撮影スポットとされる場所から撮った関門橋。
真横から撮れる陸地は、ここだけらしい。



SHV39_3946そして、この島のメインスポット、佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘像
決闘が始まった時、武蔵は遅刻をして小次郎をいらつかせたという話を基に、先に小次郎像が建てられ、後に武蔵像が建てられています。ただし、この遅刻していらつかせた話は後の世の創作であるとも言われています。



SHV39_39472人の決闘像のそばには、伝馬船という船があります。武蔵がこれに乗ってこの島にやって来たのだそうです。
朽ち果てかけていますけど、伝承を伝える貴重なものですので、乗ったり、いたずらしたりしないように!



SHV39_3949撮影スポットより船着き場寄りにある巌流島の碑。



SHV39_3950石碑には決闘のハイライトが描かれております。



SHV39_3952最後は桟橋から少し先にある休憩所の一つより。
こちらには、武蔵と小次郎の経歴が書かれております



SHV39_3951そして、こちらにも巌流島の決闘・・・って、おい、関門橋が描かれとるやないけ(ギャハ)!



実のところ賞味30分いるか怪しいところでしたけど、そうしないと次の高速船が着いてから1時間後になるので、急いで唐戸に戻りたかったのよ。ホントは試合が終わった後に行く予定だったからね・・・。


駆け足ながらも2人の足跡をたどることができて満足した中、唐戸市場に向かうのであった。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)

2018年10月11日

関門を巡る旅③

SHV39_3929下関に着いたら、いきなり出てきた大砲の数々
この大砲は長州砲というもので、当時攘夷派だった長州が据えたもので、外国が攻めてくるのではという危機を持っていたため
ちなみに、この大砲の返還運動に携わったのは、今の首相である安倍晋三さんの父親である安倍晋太郎さん



SHV39_3935その隣には、かの有名な、日本史における三大戦争の一つと個人的には思っている壇ノ浦の戦い(貴族社会から武家社会への転換)の跡があります。
ちなみに、残りの2つは、応仁の乱(戦国動乱のきっかけ)と関ヶ原の戦い(300年にわたる太平の世を築き上げるきっかけ)だと思っていますが、いかに。



SHV39_3931そのハイライトの一つが、平知盛(たいらのとももり)の「碇潜(いかりづき)」と源義経の「八艘飛び」。特に後者は日本史でもよく出てくるので非常に有名ですね。
源氏と平家の一大決戦であり、最終決戦でもあったこの戦い、当初は平家が有利だったものの、潮の流れが変わってから源氏が優勢となり平家滅亡となったわけです。



SHV39_3933そして忘れてはならないもう一つのハイライト、安徳天皇の入水です。
敗戦を覚悟した平家の一団、安徳天皇のそばにいた尼が「波の下にも都がございます」と言って安徳天皇を説得し、入水したという逸話がよく知られています。
・・・そうか、ここだったのか。

なお、この時は知らない。「波の下にもJ2がございます」とばかりに飛び込まなければいけない状況になってしまったことを(爆)。



SHV39_3934この向こうが九州。
当時の武将達は、想像もしなかっただろう。この場所が栄え、かつ橋やトンネルで結ばれることになったなんて。



しかし、北九州ではバスをほとんど見かけなかったのに、下関に着いたら、バスがビュンビュン走っておりますわい(汗)。ここからバスに乗って唐戸に向かいます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:55Comments(0)

2017年07月01日

くっそー、壇之浦何もねー!

つい先程まで、山口県下関市にある壇之浦パーキングエリアにいました。が、降りる時、運転手から衝撃の発言を聞くことに。


「売店・レストランは改装工事中です」



・・・


・・・・・・


・・・・・・・・・


何ですとー!
トイレと自販機しかないってか!パーキングエリアに求めてもいかんが、手痛い仕打ち。土産物屋もあるんだけど、開いてないんだよね・・・。
でもいいや。いい風景でお腹いっぱいになりました(泣)。


もう少ししたら小倉駅だ。その後はうどん屋が待ってる(はず)。


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Posted by alexey_calvanov at 06:13Comments(0)