2016年09月25日

さよなら、サブロー

この時期になると、白熱した優勝争いの陰で、選手の引退が大きくクローズアップされるようになります。
その中でも、日本代表として出場したことのある千葉ロッテマリーンズのサブロー(大村三郎)選手が引退を表明し、今日引退試合となりました。


サブロー選手は1994年にドラフト1位で入団し、新人選手だった1995年から出場を続け、1999年から外野手としてスタメンを獲得しました。
アテネオリンピックで日本代表選手に出場した2004年に就任したボビー・バレンタイン元監督に、2005年から4番として指名され、『繋ぎの4番』という新しいスタイルでロッテの優勝と日本一に貢献しました。その後も主軸打者として活躍、2010年の日本一の際にも活躍しました。

ところが、2011年シーズン途中にフロントの確執により巨人に移籍親しまれていたサブローの名も捨て、本名の大村三郎で出場することになりました。巨人時代は48試合と出場機会に恵まれず、主に代打での出場となり、ロッテ時代の活躍を知っている人間には、わざわざ冷や飯を食わされるために出ていってしまったのかと感じたほどでした。しかし、その半年ほどの在籍でありながら、引退試合にはかつての仲間が駆け付けており、人望の厚さを感じさせるほどでした(現在巨人に在籍のクルーズ選手も駆け付けていたが、彼の場合はロッテ在籍が先)

2012年にロッテ復帰後は再び外野手として登場。しかし、年齢からくると思われる打撃不振が深刻となり、かつ若手や外国人選手に活躍の場を奪われ、主に代打での登場になりました。それでも2軍落ちすることが多くなり、今シーズンは1軍での活躍が見られないまま引退を表明しました。


この試合では、QVCマリンフィールドのウグイス嬢である谷保恵美さんにとっても感慨深いものになりました。彼女がQVCマリンフィールド(当時は千葉マリンスタジアム)のウグイス嬢になったのが、奇しくもサブロー選手入団と同じ1994年から。つまり新人の頃から引退の今日に至るまで、ずっとサブロー選手を見てきた数少ない一人なのです。
彼女の特徴と言えば、独特のアナウンス。特にサブロー選手には語尾を極端に伸ばすというアナウンスになっており、それがQVCマリンフィールドの『名物』にもなっていました。最後の試合になった今日は、アナウンス後感極まって泣いていたそうです。そりゃそうだわな。20年以上見てきているんだもの。


私にとってサブロー選手と言えば、先述の繋ぎの4番というシュアなバッティングを放てる巧打者という面奥さんがタレントの中嶋ミチヨ(美智代)さんなんですよね。ラジオを聞いていた縁もあって、よく知っていただけに、サブロー選手が巨人に移籍したりロッテに復帰したりという節目の時も応援しておりました


22年間本当にお疲れ様でした。今後はロッテの将来を担えるコーチや監督としての活躍を期待しております。


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)