2011年08月20日

土産代りに買ってきたDVDを見ようっと

千葉ロッテマリーンズ 20年史 [DVD]先日の休みの間、以前2011 マツダオールスターゲームに行った際、お土産代りに買ってきたDVDを見ようと思い引っ張り出すことに。
それが、「千葉ロッテマリーンズ 20年史」
これは、千葉ロッテマリーンズがロッテオリオンズとして活動してた1991年末、つまり『川崎劇場』と言われていた川崎球場からの移転から、2010年の3位から日本一に駆け上った、いわゆる『史上最大の下剋上』までの20年間を網羅したファンソフト的なもの。もちろん野球好きにも楽しめる作品です。



ロッテファンなら一度は泣き笑うようなシーンが随所に盛り込まれ、千葉に移転しても苦節を重ねたロッテの選手達のいきいきとした姿が今日によみがえります。

個人的に印象的だったのが、先日亡くなられた伊良部さんの映像
西武球場(現:西武ドーム)での清原さんとの対決や千葉マリンスタジアム(現:QVCマリンフィールド)での活躍、そしてコテンパンにやられた際に発した、故大澤さんの「伊良部クラゲにやられた」の名言など、伊良部さんのロッテ時代の全盛期を垣間見た時は、惜しい人を亡くしたんだなとつくづく思いました。

状況説明や当時の選手の詳細がない、あとは個人的にロッテのターニングポイントになる「悪夢の18連敗」の経緯が語られていないなど、少々不親切な部分はあるものの、千葉移転後のロッテを知るには十分な資料になります。


ファンの方は買っているでしょうけど、野球好きな人も一度見てほしいものです。
あ、ロッテの応援スタイルの変化も見ものです。


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Posted by alexey_calvanov at 22:51Comments(0)TrackBack(0)

2011年07月29日

その人生は、持ち味のスピードボールのように早く・・・

元プロ野球選手で、ロッテ・阪神とアメリカ大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝さんが自殺したという報道が入ってきました。


伊良部さんは1987年のドラフト1位でロッテ(当時はロッテ・オリオンズ)に入団。当時は弱小だったロッテで、かつお世辞にもいい球場ではなかった川崎球場で投げていました。その頃は谷間の先発やリリーフで投げていたというふうで、速球選手という触れ込みはあったものの、安定した選手とは言えないふうでした。

大きく変わったのが、幕張の千葉マリンスタジアム(現:QVCマリンフィールド)へ本拠地を移した千葉ロッテマリーンズ時代
持ち前の速球に磨きをかけ、打者を翻弄する大投手になっていました。特に清原さんとの勝負は今でも語り継がれてますし、当時最高時速だった158km/hを投げ込むという『伝説』をも作りました(その後、156km/hのストレートを清原さんが打ち返すというオチまで付けましたが)

速球に見られるように、気性の荒い選手としても知られていました。
マウンドを降りるよう言われると、グローブと帽子をスタンドに投げ入れる、ファンに向かってつばを吐きつける(後に、審判に向かってやったことと本人が釈明)、引退後の暴行事件などなど。
しかし一番伊良部さんを有名にしたのは、1996年に起こったヤンキースへのトレード騒動でしょう。
当時、大リーグへの移籍を望んでいた伊良部さんはロッテと交渉ロッテサイドは外国人選手獲得のために、既にパドレスへ独占契約権を締結していました。ところが、ヤンキースへの入団を熱望する伊良部さんは代理人を立てこの入団を拒否し、その年のオフのちょっとした騒動になりました。
結局、伊良部さんは念願のヤンキースに三角トレード(プラス金銭)で移籍することになりました。

大リーグ時代は、様々な苦労をしたものの、先発とクローザー(抑え)として活躍しました。やっとクローザーとしての芽が出かけた時に肺血栓を患い大リーグを去ります。

2003年・2004年は阪神で活躍。中でも2003年の阪神優勝の際には先発ローテーションの一角として活躍しました。そして2005年の春、1度目の引退をします。


1度目の引退の後は、アメリカに再度渡り、高校時代よく味わったうどんを糧にうどん店を開く実業家になりました。人気店にはなっていたものの、リース契約が切れたという理由で閉店してしまいます


その後、投球フォームを改良したことで、もう一度プロへの道を進めるのではないかと思い、アメリカの独立リーグや四国・九州アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus。日本の独立リーグ)を渡り歩いたものの、四国・九州アイランドリーグで患った腱鞘炎が原因で2度目の引退を決めることになりました。


2度目の引退後は、日本で解説者をしていた時期やアメリカで子供たちに野球を教えたり草野球に参加したりしたことがあったものの、基本的にはアメリカ・ロサンゼルスに在住し、何もしていなかったそうです。

そして、先日伊良部さんが、チームメイトに見つけられる形で亡くなっているのが確認されたそうです。首つり自殺ではないかと言われています。


現役時代や騒動を聞く限り、とてもそう言った結末をたどる人には思えませんでした。
ただ、こうなるかもしれない理由はあったのかもしれません面白い選手だという評価も仲間内からあったものの、気難しいところがあった点、2度目の引退以降何もしていなかったことが多かったという「燃え尽き症候群」的な面が垣間見えた点がその理由です。
亡くなる数週間前にも、週刊SPA!のインタビューにも答えていました(しかも別の目的で買っていて偶然持っていた)。
その中で、トレード問題はルールに則って行動したのにメディアコントロールに失敗したと嘆いたこと父親がアメリカ人だったことをアメリカに渡って初めて知ったこと、スライダーなど横の変化球がないと立派な投手になれない話、野球に携わるなら3軍のコーチになって長いこと選手を育てる立場になりたい話、日本に帰りたい話などをしていました。
もしかしたら、死ぬ前に日本に帰りたかったのかもしれません日本で野球に携わりたかったのかもしれません。そう思うと、なぜ死んでしまったのか、やるせない思いでいっぱいです。
彼なら、教え下手だったとしても、彼の生きたプロ人生は絶対に若い選手への糧になったと思います。特にこれからプロになりたい子供や社会人の人達にはいい教訓を与えられたと思います。


ご冥福をお祈り致します。あの世で往年の選手達と楽しく野球をやって盛り上げて下さい。


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Posted by alexey_calvanov at 23:19Comments(0)TrackBack(0)