今治に行った翌日、夜行バスで福岡まで出てきました。天気は思いの外よかったです。台風6号が過ぎた後だったのもあるでしょう。
さて、なぜ九州北部と言っているのか?九州北部のことを北九州と書くと、北九州市と混同しやすいからというシンプルな理由です。じゃあ九州南部とか言うのというと、さにあらず。大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県の場合は南九州って言うんですよねぇ(九州南部も呼ばないわけじゃないが)。実にややこしい。
また九州北部でも、長崎県と佐賀県は西九州、南九州でも大分県・宮崎県は東九州とも言うんですよ。ますますややこしい。
ちなみに、大分県・熊本県は中九州と呼ぶこともあるんです。もうややこしいってレベルじゃない(ギャハ)。<今のエフエム・クマモトの前に使ってたエフエム中九州がその一つで、今でも『中九州』という名称の付いた会社もあるそうだが。
そんな九州北部の中心であり、九州地方の中心でもある福岡市にある博多駅から九州北部を巡る旅が始まります。
博多駅には、特急ゆふが停まっていました。
この列車は、小倉駅(北九州)から大分駅・別府駅に向かうのではなく、鳥栖駅・久留米駅・日田駅・由布院駅を経由して大分駅・別府駅に向かうというかなり贅沢なルートで向かうんですね。もっとも、由布院駅を経由しないでゆふを名乗るのもおかしな話ですからね(苦笑)。
今回は博多駅から快速に乗って鳥栖駅まで向かいました。佐賀県は通り過ぎるだけだったので、今回向かう先が、初めて佐賀県で降り立つ地になります。
その地に向かう最寄りの駅になる吉野ヶ里公園駅。この駅舎はコミュニティセンターも同居しているものになっていて、実際休憩所としても機能していました。暑かったからね。冬は逆に寒さをしのぐ場所として機能するのでしょう。
しかし、この写真はある出来事の後に撮った最初の写真だった。ある意味テスト撮影のように撮ったものだったのです・・・。
その話は、後から話すとして、吉野ヶ里公園駅を出ると、目的地への場所案内をしてくれる看板が随所に立っておりました。ルート案内もあったので、歩く時にも困りませんでした。
その随所に立っている看板は、目的地の概要が詳細に書かれているので、見どころ紹介とも言えるものになっていました。
吉野ヶ里公園駅から700m、目的地である吉野ヶ里歴史公園に到着しました。
名前の通り、吉野ヶ里遺跡の入った公園で、国営公園になっています。
公園とは言っていますけど、入場料が必要です。ただし無料開放されることもあるそうです。年間パスポートもあるそうなので、吉野ヶ里町のそばに住んでいる方なら、そっちの方がいいんじゃないかとも。
入り口そばにある案内図を見ると、その広さに驚かされる。広さは117ヘクタールもあり、3つのゾーンに分かれています。未だ発掘調査を行っている場所も中にはあります。最近になって、公園内にある墓所の発掘調査が話題になりましたね。
拡大したもの。
吉野ヶ里遺跡は、戦前から発掘調査が行われていたものの、さほど注目を浴びていなかった場所でもありました。
転機になったのは、この地に工業団地開発の話が持ち上がってから。1980年代の調査によって、この地が古代日本史にとって重大な場所だったことが明らかになり、遂には邪馬台国ではないかという話まで上がったほど。現在では大きなクニの一つで、邪馬台国ではないとされているものの、個人的には邪馬台国は九州で起こって、畿内に移動して、現在の皇室に繋がったと思っていますけどね・・・。そうすると話の整合性が付くんですけど、それも畿内での発掘調査が進まない限り、わからないでしょうな。皇室(宮内庁)が古墳の発掘調査を許さない限り、日本史の謎の解明は永久に無理でしょう。
そんな吉野ヶ里歴史公園の入口に立っているのが、マスコットのひみか。1999年に公募(マスコットは1998年に設定)されました。名称は、命名当時東脊振村・三田川町・神埼町の3つにまたがっていた(現在は吉野ヶ里町と神埼市にまたがっている)ことから来ており、それらの頭文字を採ったものだそうです。また卑弥呼の名称を連想させるようにというのもあるそうな。
ちなみに、彼には妹がおり、7年後に誕生。やよいというそうな。
先述の通り、非常に広い公園なので、園内にはマイクロバスが走っております。
普段は20分おきに発車しているそうですが、この日はお盆休みということもあって、5分おきで発車していました。
そのバスの風景から。
公園の中には水田もあり、当時の暮らしに思いを馳せる場所になっておりました。収穫期には石包丁で稲穂を切っていたのかなぁ。
バスは北墳丘墓に向かうので、そこで下車。ここから南下して入口に戻ろうという算段でした。色んな見どころもあるしねぇ。
その北墳丘墓の中。
紀元前1世紀に歴代の王の墓として使われていたそうです。甕棺といわれる棺が数多く出土され、中からは屈葬された人骨と数多くの副葬品が出てきました。
この中にある甕棺は実物で、中の土も厳格に保存しているとのこと。湿気のコントロールも行われているため、十分な冷暖房は利いていないので、来場の際(特に夏場)は注意が必要です。
そして、ここでトラブル発生。
この北墳丘墓でスマホがうんともすんとも言わなくなった(泣)。そうです、あまりの暑さに熱暴走を起こしてしまったんです。北墳丘墓の中は結構湿気が多くてムシムシしていましたからねぇ・・・。このため、北墳丘墓から先、北内郭・南内郭などの撮影ができないまま公園を出ることになってしまいました。
途中の資料館で見付けたクーラーで冷やしたり(本当はスマホにとっては結露を招きかねないので、あまりよくない)、充電器を繋いだり、スマホカバーをはずしたりなどして必死に電源が付くようにしていたけど、結局電源が付いたのは、公園を出てすぐのこと。ブッと言って電源が付いた時には、ソニータイマーの発動じゃなくてホントよかったと安堵したほどです。
・・・ということで、夏以外の時期にまたリベンジしたいです。サガン鳥栖との試合で来られないかぁ(ニヤニヤ)。<J3落ちを期待するな!
・・・何言ってるんだよ、J2で対戦するんだよ!<ますます性質が悪いわ!
そんなわけで、吉野ヶ里公園駅の写真は、スマホが落ちて再び電源が付いた時に撮ったものなんですわ。
吉野ヶ里にあったクニの呪いじゃないかと本気で思いながら(苦笑)、今度は西に向かうことにしたのです。