2019年12月22日

FC岐阜を生み、支えたレジェンドが逝く

FC岐阜の設立時の監督を務め、FC岐阜SECONDの監督・総監督を務めた勝野正之さんが12/21に亡くなったことがわかりました。致死性の不整脈だったそうです。まだ59歳とのことで、これから色々とやってほしかったのにねぇ・・・。


勝野さんは1960年に長野県南木曽町で産まれ、西濃運輸のサッカー部でフォワードとして活躍しました。引退後は同社の監督を務めています。

2001年にFC岐阜が設立されると、監督として就任し、社会人1部までの間(2005年)監督を務めています。その後も岐阜に深く関わるようになり、2006年にはゼネラルマネジャー、2007年には下部組織育成普及部、2009年からは、新たに設立されたセカンドチームのコーチに就任しました。2013年には前任監督のトップチーム監督就任に伴い、セカンドチームの監督を務め、一度退任した後も2017年に再度監督を務めています。なお、2015年からは総監督を務めており、今シーズンも総監督としてチームを見つめていました
先程も書きましたけど、まだ59歳で、これから色々とやりたいこと・やってほしいことがあったと思う中での訃報なだけに、言葉が出てきません。あまりにも突然でしたから。それだけ身体が悪いとも思ってなかったですからね。セカンドチームの情報は、正直公式サイトでしか知る由の無い人間でさえ、勝野さんが岐阜というチームのレジェンドであり(まだ若いとはいえ)長老でしたから、今後も岐阜のために・・・と思っていましたもの。


最期まで大変なチームのために労苦を重ねて下さったことを非常に感謝してもしきれません。心からご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。


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Posted by alexey_calvanov at 19:31Comments(0)