
写真はその前の車窓の景色。見てわかる通り、海の波間が見えないほどの大きな防波堤が築かれていました。それだけ大きな津波が襲い掛かってきたということでしょう。
十府ヶ浦海岸駅は2019年5月現在、三陸鉄道の中で最も新しい駅になります。しかし、過去にも臨時ながらも駅として設けられた時期(1986年~1992年の夏季および1997年のイベント時)があります。それでも設置に至ったきっかけは、震災後に宅地ができたことによるもの。ホーム1面と小さな待合室しかない駅ですが、付近住民にとっては、とても重要な駅なのです。

大きく5つに分けられ、海浜運動広場・野鳥のもり・多目的運動広場・のんちゃんパーク・環境保全広場となります。なお、ここで挙がっているのんちゃんとは、野田村のマスコットキャラです。
また、津波防災緑地になっている通り、ここは東日本大震災を忘れず、この地には住宅を建設しないという意味も込められています。
この掲示板の横には、東日本大震災時の推測津波浸水位が付いているのですけれども、およそ私の腰かそれより少し上の辺りまで来ていましたね。1m弱というところでしょうか。

丁度国道45号の道すがらにあるので、休憩地としてもいいかなとも。もっとも、道の駅が北にもう少し走ればあるそうですけど・・・。

こちらが三陸復興国立公園(旧陸中海岸国立公園)の一部になるのですけど、東日本大震災の津波によって砂浜が大きく削られてしまいました。



こちらは、昭和三陸地震の際の津波を忘れないように碑にした「津浪記念碑」。先程紹介した綿津海神社にあったのですが、津波で倒され、後に高台に移築されました。

3枚の石板は扉のように海に向かって開いており、3つの防波堤(海岸の防波堤・三陸鉄道や国道45号・十府ヶ浦公園の盛り土)を表しています。また全体では海に対する畏敬の念・追悼の場・ふるさと・未来も表しています。

元々米田川という川を渡るための歩道橋だったのですが、東日本大震災の津波で大きく破壊されたその時の残骸です。後に水門は河口そば(防波堤に組み込まれる形)に再建されました。
津波の破壊力を思い知らされ、恐らく触ることもできる数少ない施設になるかと。
次の列車が来るまで40分ほど待つことになっていたのですが、その40分はあっという間に過ぎていきました。それだけ見どころの多い場所だと思います。絶景を眺めているだけでも時間は大きく過ぎていくことでしょう。
震災を知るだけでなく、三陸の美しい風景を見るために訪れてもいいでしょう。かなり寒い(実際この日も寒かった)ところですけど、初日の出を見るのにもいいでしょうね。
次に来た列車に乗って、今度は島越駅に向かいます。

