中日の和田一浩選手が2000本安打を達成しました。谷繁元信選手兼任監督を抜く史上最年長での達成になりました。ちなみに、この日は3安打の猛打賞も獲得し、大暴れの1日となりました。
和田選手は1996年のドラフト会議(4位)で西武に入団。入団当時は捕手として期待が寄せられていたものの、正捕手で現在ロッテ監督の伊東勤さんと現在も日本ハムで選手兼任コーチを務める中島聡さんが在籍していたことで捕手としての実績はあまり挙げられず、2年目からは外野手も務めることになりました。思えば、この時外野手の経験を積んでいたから、長いことやれたのではないかとも思います。
和田選手は、2000年頃から徐々に活躍していたものの、まだその時は外野手と捕手の兼業選手という位置付けでした。
その和田選手に転機が訪れたのは2002年。当時の監督の方針で外野手一本で行くこととなり、そのことで成績が安定。西武のクリーンナップの一翼を担うことになりました。なお、西武時代にはアテネオリンピック日本代表・2006 WBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表として出場経験もあります。
2007年にフリーエージェント宣言をして、地元(和田選手は岐阜県出身)の中日に入団。中日時代にも、西武時代同様、クリーンナップの一翼を担うようになりました。ただ、年齢による衰えなのではないかと思われた時期もあり、2011年にはバッティングフォーム改造をきっかけに不調に陥り、視力の低下などで2軍落ちも経験しました。それでも数多くの記録を作り、300本塁打(2014年)・1000打点(2014年)・近鉄を含む13球団から本塁打(2009年)を記録し、2014年に社会人野球経験者では古田敦也さん・宮本慎也さん以来3人目となる2000本まであともう少しというところで、ケガのため残りの試合を棒に振り、今年こそ記録達成・・・というふうになっていました。
ところが、和田選手は調子が上がらないということで、開幕スタメンから外れ、最近まで2軍での調整を余儀なくされました。谷繁選手兼任監督いわく本調子になるまで使わないとのことだそうで、和田選手も我慢の日々というふうだったことでしょう。
1軍に上がってからは、八面六臂の大活躍。普通は記録達成前というのはプレッシャーで押しつぶされるものだと言われていたのに、スイスイとヒットを打ち積み重ねていきました。そして今日、2000本安打達成となったのです。
社会人まで経験してここまで積み重ねてくるのは、並大抵の努力ではできないことです。それは古田さんの時でも宮本さんの時でもそう思えたほどですから。だからこそ、今後もケガ無く1打席1打席を大切にして試合に臨んでもらいたいものです。
今後は2000試合出場達成も控えています。こちらもできることなら今シーズンで達成してほしいですね。
最後に、2000本安打達成おめでとうございます。