御裳(みもすそ)川というところが関門トンネル人道口(および壇ノ浦の戦いの跡があるあたり)のバス停の最寄りになるのですけど、そこからバスで10分位で唐戸というところに着きます。
実は、唐戸市場に向かおうと思っていたのですが、ここから巌流島に向かえることを知り、しかももうすぐ出るとのことなので、慌てて切符を購入。巌流島行きの高速船に乗るのであった。
でもね、思った以上に揺れるわ。元々潮流の早いところだからというのもあるんだけど、逸れたとはいえ台風の来ていた時だったからねぇ。横揺れがすごかった。しかし一番揺れを感じたのは、陸だと思っていたら、それは浮桟橋だったという事実(爆)。海の方に持って行かれそうで怖かったわ。
唐戸から高速船で10分ほど。巌流島に上陸です。
この島は、元々船島という名前の島(実際に船の形だった)で、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な島です。巌流島となったのは、この決闘で敗れた佐々木小次郎の剣の流技「巌流」から採ったためとされています。
明治時代に浅瀬(豊臣秀吉が難破して村上水軍に助けられたという逸話もある)が三菱重工業によって爆破され、それが埋め立てに使われ、現在のような形になりました。
埋め立てられ、現在の形になった明治時代にはコレラの保養所として使われ、第2次世界大戦には要塞となって人が近寄ることもカメラを向けることも叶わない時代を経て、戦後には住民の住む島になったものの、1973年に無人島になりました。そして観光の島として現在に至るのです。なお、プロレスファンにとっても巌流島は有名で、アントニオ猪木さんとマサ斎藤さん、馳浩さんとタイガー・ジェット・シンさんが無観客試合を行っています。
上陸してすぐに船島神社というお社でお参りに行ったんだけど、結果は以前にお話しした通り(ギャハ)。
この島には、「小次郎巌流之碑」というものがあります。こちらは先程話した明治時代の浅瀬が三菱重工業によって爆破され、それが埋め立てられたという工事が完了した時に建立されたものだそうです。
当初は島の中央にあったそうですが、今はやや左寄りの場所に移っています。
ここでも拝んできたのですけど、結果は(以下略)。
撮影スポットとされる場所から撮った関門橋。
真横から撮れる陸地は、ここだけらしい。
そして、この島のメインスポット、佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘像。
決闘が始まった時、武蔵は遅刻をして小次郎をいらつかせたという話を基に、先に小次郎像が建てられ、後に武蔵像が建てられています。ただし、この遅刻していらつかせた話は後の世の創作であるとも言われています。
2人の決闘像のそばには、伝馬船という船があります。武蔵がこれに乗ってこの島にやって来たのだそうです。
朽ち果てかけていますけど、伝承を伝える貴重なものですので、乗ったり、いたずらしたりしないように!
撮影スポットより船着き場寄りにある巌流島の碑。
石碑には決闘のハイライトが描かれております。
最後は桟橋から少し先にある休憩所の一つより。
こちらには、武蔵と小次郎の経歴が書かれております。
そして、こちらにも巌流島の決闘・・・って、おい、関門橋が描かれとるやないけ(ギャハ)!
実のところ賞味30分いるか怪しいところでしたけど、そうしないと次の高速船が着いてから1時間後になるので、急いで唐戸に戻りたかったのよ。ホントは試合が終わった後に行く予定だったからね・・・。
駆け足ながらも2人の足跡をたどることができて満足した中、唐戸市場に向かうのであった。