2017年11月29日

日馬富士、引退

横綱の日馬富士関が今日、引退を表明しました。
日馬富士関は、九州場所前に行われた鳥取巡業で、貴ノ岩関に暴力を振るったとされ、事件発覚後は九州場所を休場していました。
事件後から、警察の事情聴取などで暴力を振るったことを認めていたので、過去朝青龍関が知人に暴力を振るったことで引退勧告の上で引退に至った経緯があることから、引退勧告を出されるだろうとは思っていました。しかし、自ら引退を表明することで、引退勧告や解雇は免れたとも取れます。
もちろん、暴力を振るった件で引退というのは仕方ないものと思います。ただ、現状まだ晴れる疑惑が晴れていない、真相がいまだに不明瞭な部分もあるので、これからも日馬富士関への疑惑の目が無くならないと思われます。その点では、かわいそうというのかもう少し何とかならんのかなとも思います。そして、まだやれるという部分では、もったいないなとも感じました。


ともかく言えるのは、貴ノ岩関ならびに貴乃花親方が真相を語るないしは、経緯の説明が必要だと思います。このままでは、貴ノ岩関や貴乃花親方も、世間の疑念の目を持たれかねません(もう処分は免れないが)。もちろん処分を下す側である日本相撲協会も、今回の件で処分は免れないと思います。現在の理事長である八角親方率いる執行部は総辞職すべきところまで来たのかもしれません。


膿を出し切るというのは、日馬富士関の引退でも、貴乃花部屋への制裁だけでもないのです。国(この場合はスポーツ庁になるのか)が三方一両損で当たるべきではないのかと思います。この場合美談ではないですが。
本当に何が起こっているのかわからない。相撲人気に陰りも出るだろうし、かつての疑惑の時のように、相撲協会の存在意義が問われるのは間違いないでしょうね。


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Posted by alexey_calvanov at 23:44Comments(0)

2015年09月13日

中日のベテラン選手に忍び寄る『引退』の二文字

先日、中日ドラゴンズの和田一浩選手が引退を表明しました。
和田選手は今シーズンに関しては、膝を痛めた影響で開幕に遅れ、若手の台頭もあって代打要員で過ごすことが夏あたりから多くなってきました。それでも3割近い(.283。9/13現在)打率を規定打席に達していない中でも残しているのは驚異的で、まだ引退するのは早いのではと個人的には思っています。思うに、主力で出られなくなったら引き際だと感じていたからでしょうね。


この和田選手の引退報道を皮切りに、中日のベテラン選手の去就(特に引退や戦力外通告)が取り沙汰されるようになりました

まず、小笠原道大(みちひろ)選手ですが、彼にも引退するのではないかと言われています(既に中日スポーツが引退と報じている)
今シーズン、春先はこれまた驚異的と言われた代打成功率を誇っていましたけれども、当たりの止まった6月以降2軍落ちになっていましたつい先日再昇格し、安打を放っていますが、その試合後のインタビューでは煮え切らない(答え辛い)反応を示していたのが印象的でした。特に今シーズンは大きなケガも無く、和田選手と同じく規定打席に達していないとはいえ、3割以上の成績(.326。9/13現在)を残しているので、まだ引退したくないと思う部分になっているのでしょう。
少なくともあと1年はやれると思ってます。地元でやらせてあげられないものでしょうか?

この他にも、川上憲伸選手や岩瀬仁紀選手も引退(戦力外通告)ではないかと言われています両者共に今シーズンケガで1軍登板ができなかったので、さもありなんと思っていましたが、思った以上に早かったなぁと。同様に今シーズン1回登板して以降2軍にいる山本昌選手も去就が問われています。さらに選手兼任でプレーしている谷繁元信選手兼任監督も選手としてプレーできるのかとも言われています。かつて、ヤクルトで同様の形態でプレーしていた古田敦也さんも監督2年目で選手としての戦力外通告を受けているだけに、その可能性がないとも言い切れません。下手をしたら監督としての契約も(4年契約とはいえ)打ち切られる可能性もはらんでいるだけに、クローズアップされた場合、一気に注目されることでしょう。


まだまだ当落選上にいるベテラン選手は何人かいるのでしょうけど、ここまで引退が取り沙汰されるのは、2006年のヤクルト以来だったと思います。そうなったのは、ひとえにカネの問題もあったのでしょうけど、元々中日がベテラン選手を多く抱えていたという問題点もあったのだと思います。


今回の一件で、中日は一気に若返りが図れるのか、それとも更なる『リストラ』を繰り出すのか、来シーズンはいずれにしても注目されそうです。


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Posted by alexey_calvanov at 16:20Comments(0)TrackBack(0)

2012年12月28日

Sayonara, Godzilla

年の瀬も迫る中、そして仕事納めだった人も多いこの日に、1人の選手がバットを置くという『仕事納め』を行いました
日本では巨人で活躍、アメリカ・大リーグではヤンキース・アスレチックスなど4球団で活躍した松井秀喜選手が引退を表明しました。


松井選手は、石川県の星稜高校で超高校級スラッガーとして話題を集めました当時対戦相手が5打席連続敬遠を行ったことでも松井選手が大物であるという認識が一気に高まったと思います。

プロ入りすれば即戦力間違いなしと言われてもおり、各球団争奪戦(本人の希望は阪神・巨人・中日・ダイエー(現ソフトバンク))になりましたが、結果巨人がくじ引きで交渉権を獲得しました
巨人入団後は、1年目の5月から1軍入り。1年目自体はエレベーター生活を送ったものの、まずまずの活躍を収めています。覚醒したのは2年目以降で、首位打者1回・本塁打王3回・打点王3回を獲得する名スラッガーに成長しました。

2003年に大リーグ入り。ヤンキースでワールドチャンピオンに輝いた後も、エンゼルス・アスレチックス・レイズで活躍しました。しかし、度重なるけがと年齢面での衰えが響き、レイズを解雇された後はどこの球団からもオファーが来ず、引退を決意したと思われます。


松井選手はとにかく豪快かつパワーあふれるバッティングが特徴的でしょう。その強烈な当たりは王さんなどをしのぐとさえ言われたほど。実際にスイングを生で見える機会は最後までなかったですが、テレビの映像で見る限り、今でもその迫力はすごいと思います。これも長嶋終身名誉監督が監督時代に二人三脚で松井選手を育成した結果であり、長嶋イズムが松井選手に浸透したのでしょう。

日本に戻って野球選手を続ける手もあったと思いますし、実際阪神が獲得に動いているという噂が常に付きまとっていました。しかし、本人自身がその思いを断ち切ったというのが、いかにも松井選手らしいとも感じましたね。5打席連続敬遠の時も、自身は恨み節もなく淡々と答えていましたし、気持ちの切り替えが上手い選手だったのかもしれません。
ただ、今年の大リーグの成績または3Aの成績が満足いくものではなかったので、恐らく日本でも満足できるプレーができないまま選手を終えることになったのかもしれません。そうなると松井選手のプライドが傷ついたまま終えることにもなるので、ここで上手いこと引いたとも言えるでしょう。


ところで、今年は金本選手・城島選手をはじめ、名選手や人気選手が相次いで引退した年になりました。
私がよく知る選手がいなくなることで、寂しいと思うばかりか、そういった選手達がフィールドを去るほど私も年を取ったのだなと痛感しております。時の流れはゆったりとしているようで意外に早いのですね。


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Posted by alexey_calvanov at 19:47Comments(0)TrackBack(0)

2012年09月28日

キャッチャーができないので引退します

それにしても唐突だったなぁ。そしてまた一人偉大な選手がプロの世界から去っていくのか・・・。


阪神の城島健司選手が今シーズン限りでの引退を表明しました。


城島選手は1994年にドラフト1位でダイエー(現在のソフトバンク)に入団。将来の大型捕手ということで、王監督(現会長)が粉骨砕身で育て上げた結果、捕手としての能力を存分に発揮しただけでなく、打者としてもパワーヒッターとしての側面を見せていました(今日で言うと、今年の巨人の阿部選手のような活躍ぶりが最も相応しいのではないかと)
その強靭な守備(リード面だけでなく肩の強さも折り紙付だった)とシュアなバッティングでダイエーの黄金期を支えた一人として今でもファンの間では語り草になっているのだと思います。アテネオリンピックでも日本野球の要として活躍し、銅メダル獲得の原動力となりました。

2006年にシアトル・マリナーズに移籍。それまで言葉の壁、投手中心の野球、そして大リーグのハードな日程に付いてこれるのかと当初は心配されていましたが、見事に乗り越え、勝負強い打撃も彼の躍進を後押ししました。チームはポストシーズンに進めなかったものの、イチロー選手共々日本人選手の素晴らしさをシアトルのファンに植え付けました
しかし、打撃不振と2009年シーズン初頭のケガでレギュラーを奪われ、1塁手でのレギュラー打診を断り自ら残り複数年(2年)の契約を破棄。移籍交渉の末、阪神で日本球界に復帰を計ったのでした。

ただ、阪神での3年間は決して本人にとってもファンにとっても納得のいく内容ではなかったと思います。相次ぐケガ、それによる打撃不振、そして内野手としての出場を余儀なくされ、城島選手の選手としてのプライドはズダズダになってしまっていたのだと思います。
捕手としての復帰が望めない、仮に復帰できるとしても数年は少なくともかかるという状況下で、彼が決断したのは、引退一択になってしまったのかもしれません。それがインタビュー内にあった「捕手として、捕手のまま・・・引退します」の一言なんでしょう。


また素晴らしいリードと鉄壁の守備を見たかったですね。まだ選手としては若く、これからも他のポジションならやっていけたのかもしれません。でも、捕手としてのプライドを掛け、捕手として選手生命を散らした城島選手の心意気は実に立派だと思いますし、彼の意志を尊重すべきだったのかもしれません。


城島選手、お疲れ様でした。捕手での日米での活躍は、これから当分見られない偉業だと感じています。捕手としての選手生命を賭けた18年は短くも実に光り輝いていたかと思いますよ。


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Posted by alexey_calvanov at 23:04Comments(2)TrackBack(0)

2011年08月24日

島田紳助さんの芸能界引退、どう思いますか?

昨日、急に飛び込んできた島田紳助さんの引退関連の話から派生したトラックバックテーマから。
暴力団関係者との関係が取りざたされ、その件がきっかけで芸能界を引退することになった島田紳助さん。その後、暴力団関係者が指定暴力団の山口組で5本の指に入るとも言えるくらいの幹部だったことが明らかになり、組事務所からは、紳助さんが「一切ない」と否定したはずの友好関係の深い証ともいえる手紙や写真が出てきたとされます(これは『グレーゾーン』とされる人が起こした事件の捜索で明らかになったもので、証拠としては回収されていない)。


引退会見の後明らかになったことも含め書いていくと、以前書いた部分と重複する部分もありますけれども、やはりもう一度会見を開いてほしい気持ちの整理がついて落ち着いた時に、様々な疑問にきちんと答えてほしいというのが今思うことの中で最も言いたいことですね。

引退に関しては、黒い関係が明らかになり、それが否定できないものになってしまったので、仕方がないと思いますし、けじめのつけ方としては立派だったし潔かったと思います。
しかしそれと同時に、「これを切り抜ければ、私は一般人になるので、後は追及できませんよ」と言っているかのように感じられ、何となく後味の悪い引退だなとも思っています。先程も書いたように、きちんと答えていない部分がまだいくつかあるのではないかと思うのです。頭の回転が速い人でもあるので、少々ずるがしこいなとも。


芸能界の人材として見た場合は、惜しい人がいなくなったことは事実です。人の魅力を引き出す面ではトップクラスになるのではないかと思います。だからこそ、後輩や後進が彼の代わりになれるよう頑張ってほしいものです。
とにかく、真相の追及をきちんとしてほしい膿はきちんと出してほしい。これで芸能界が持つ黒い関係が切れるきっかけになってほしいと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 23:00Comments(0)TrackBack(0)

2011年08月23日

大物芸人のあっけない最後

「青天の霹靂(へきれき)だ」と井筒和幸さんは表現していましたが、誰もがいきなりだと思ったに違いありません


タレントの島田紳助さんが、暴力団との関係があるという理由で引退を表明しました。
問題になったのは、2006年~2008年の間に『グレーゾーン』とされる(暴力団関係者との繋がりのある)人とのメールのやり取りだったとされます。

その『グレーゾーン』とされる人は、彼にとって旧友ともいえる人で、ある時、彼自身がトラブルで身動きが取れない時に、暴力団関係者の人間(その人を介して紹介された人)と共に助けてもらったという経緯もあったそうです。彼自身も旧友が暴力団関係者と思わずに付き合っていたそうです。

このことが明るみになったのが、「24時間テレビ」(たぶん、この後生放送の行われた「行列のできる法律相談所」)が終わった直後で、所属先の吉本興業からメールの件で追及があり、そのことで彼は一切隠さずに事実を述べたということです。ちなみに、この時紳助さんは夏季休暇に入っていながらも、徳光さんの雄姿を一目見たいということで、休暇を削ってテレビ出演したとのことだそうな。
紳助さんいわく、「(旧友を介して紹介された人に)会ったのは4・5回くらい。最後に会った2008年の時も、(自分が興した会員制の)バーで20分くらいしか会っていない」とのこと。つまり、本人は暴力団関係者だったけれども、お世話になった件も含め思って会っていたとのことです。

しかしながら、本人はそう思っていなくても、芸能界のルールである『暴力団関係者と関係を持ってはいけない』を破った罪は大きく、かつこの件で認識が甘かったとして、吉本興業や後輩から慰留されていたものの、本人の意思が固く引退となりました。


この件に関しては、本人の落ち度はないと思いますが、以前から黒い噂は流れていたために、思わぬ形で認めることになったのだなと思います。ただ、終始「暴力団関係の噂は週刊誌のでっちあげで一切ない。もしあったらば、腹を切る」とまで言っていることから、今のところはないと信じたいです。
ただ、途中記者会見を打ち切っているのが気になりました。夜遅い時間だからなのかと思いたいところですけれども、これ以上変な追及はされたくないとも受け取れ、非常に気になっています


今後は後進の育成と、沖縄・石垣島のサンゴを守る活動をしたいと言っていますけれども、今後の展開次第では、警察が動く事態になるとも考えられますどういう形でもいいので、落ち着いたら、詳細をまた語ってほしいと思います。
また空くレギュラー番組6本もどうなるのか気がかりです。当分は代替でしのいでいくと思いますが、遅かれ早かれ終焉になるのだと思います。「開運!なんでも鑑定団」のように、いい番組もあるので、残ってほしいのもあるんですけどねぇ・・・。


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Posted by alexey_calvanov at 23:53Comments(0)TrackBack(0)

2011年07月20日

さらば、昭和最後の関取

九重親方(元横綱千代の富士)の記録を抜いたのもつかの間、待っていたのは力士としての限界でした。


大関の魁皇関が、昨日の大関琴欧州関との一番をもって現役を引退することを発表しました。

以前にも書いたように、身体が満身創痍の中で取り組み続けていました。そのために今場所も腰の調子が思わしくないまま挑みました。そのため、得意の右上手が取れず、押されっぱなしの取り組みが続いていました。また、記録を抜いて以降は、気力が充実しない日々が続いたとも言います。

魁皇関は1988年初土俵。その頃は、後に若貴フィーバーの主役になる貴乃花・若乃花の他、後の初の外国人横綱になる曙といった名横綱を輩出した時期でもありました。
その後は初入幕までは早かったものの、大関までになるのに苦労し、大きなけがも経験しました
大関に昇進後は5度横綱に挑んだものの全て失敗し、最後の横綱挑戦失敗後は、先述の通り満身創痍の中、引き際を探すといった状態になっていました。
しかし、その間に積み重ねた勝ち星が、どんどん大きく重いものになっていき、遂には今年の名古屋場所で九重親方(元横綱千代の富士)の通算勝ち星を抜く1047にまで押し上げたのです。

今後は浅香山という年寄を取得し、親方としての道を歩むことになります。


魁皇関自身は「思い残したことは何もない」と言っていたのが印象的でした。
確かに、もう身体のことを心配して場所に向かわなくてもよくなったわけですから。本当は、もう少しやりたいのではないのかなとも思えてなりません。しかし、もうこれ以上やっても勝てる状態ではないと思いますし、この時期がちょうど引き際としてはよかったのかもしれません。私自身はもう2場所まで・・・とも思っていましたが、本人の状況を考えると、それもやむなしとも感じています。


これで昭和を経験した関取がいなくなったばかりでなく、横綱に続いて大関も外国人力士のみになりました。何とかして、この引退を日本人力士の奮起する材料にしてほしいものです。


最後に、本当にお疲れ様でした。この偉大な記録に追いつく人材を育てられるくらいの立派な親方になって下さい。


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Posted by alexey_calvanov at 23:12Comments(0)TrackBack(0)