2015年09月23日

阪神・中村ゼネラルマネージャー急死

今年の阪神に掛ける思いは強かった矢先の訃報です。


阪神のゼネラルマネージャー(以下GM)として活躍した中村勝広さんが東京のホテルで亡くなっているのが発見されました。66歳でまだ阪神球団の指揮をこれからも執っていくと思われた中での急逝で、驚かれた方も多かったことでしょう。


中村GMは阪神の選手として1971年のドラフト会議で2位に指名され入団。3年目から三塁手としてレギュラーにて定着し、阪神で11年間在籍しました。

1990年から1995年まで阪神の監督を務め、『ダメ虎』と称された中でも1992年に2位と健闘を見せることもありましたが、阪神のチーム力向上を図れぬまま1995年7月に休養することになりました。
その後は解説者などを経て、2003年にオリックスのGMに就任し、2006年には監督に就任したものの、こちらでもオリックスのチーム力向上は果たせず1年で辞任。以降はシニアアドバイザーや球団本部長などオリックスの屋台骨を支える形で2009年まで貢献しています。
そして、2012年9月に阪神のGMとして復帰し、阪神球団を優勝に導くべく奮闘していました。その矢先での訃報。しかも阪神がここで踏ん張らないといけない時にというところだったので、監督や選手へのショックは大きいものと思われます


思えば、優勝の掛かった1985年にも日航ジャンボ機墜落事故でオーナーを亡くした経緯があります。あの時の悲しみを力に変えて、阪神は優勝を果たしました。
今年の阪神は残り8試合首位ヤクルトに4ゲーム差(9/23現在)。今からでも何とか挽回できる順位にいるはず。中村GMの思いを無駄にしないためにも、阪神は最後まであきらめない戦いをしてもらいたいものです。


最後に中村GMのご冥福をお祈り致します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:34Comments(0)TrackBack(0)

2015年06月20日

早過ぎる。まだこれからなのに・・・

今日、音羽山親方(元大関の貴ノ浪関)が急性心不全で大阪市内のホテルで亡くなっていたことがわかりました。


音羽山親方は、中学時代に藤島親方(元大関の初代貴ノ花関)にスカウトされ、藤島部屋に1987年に入門1991年大阪(3月)場所で十両に昇進し、藤田紀子さんの発案で貴ノ浪というしこ名で十両・幕内(1991年九州場所)を過ごすことになります。

1994年には大関に昇進。以降、2m近い巨体を生かした豪快ながらも時に相手を驚かせるような取り口で、若貴時代の中でも個性ある力士として注目されました。中でも1996年初場所には、横綱貴乃花との同部屋対決を制するなど、横綱にはなれなかったものの、安定した成績をで活躍しました。ただ、二度関脇に転落したことがあるものの、最初に転落した際(1999年九州場所)は、翌2000年初場所には大関返り咲きの条件である10勝を果たし、見事復帰しています。
ところが、2000年名古屋(7月)場所に再び関脇に陥落した後は、再び大関に復帰することは無く、体力の衰えもあって2004年5月場所で現役を引退しました。それでも、引退するまで4年間力士としての務めを果たし、2002年の九州場所では敢闘賞を受賞しています。

引退後は音羽山を襲名し、貴乃花部屋付の親方として活躍しただけでなく、相撲協会でも広報や審判役を務めるなど、明るい性格と肝っ玉の強さを生かし活躍しました。NHKの解説でもおなじみでしたね。
しかし、引退後は現役時代にも患っていた心臓疾患の影響で、2006年に心房細動・敗血症・肺炎などを併発して生死をさまよう事態に陥ったほどです。2014年には胃潰瘍にもなっていたので、元々身体は弱かったのかもしれません。


実は、音羽山親方は名古屋との関わりが強い方で、奥さんは名古屋出身だそうです。そのため、葬儀・告別式は名古屋市守山区にある葬儀場で執り行われます


私、貴ノ浪関は大好きな力士で、先述の通り豪快な取り口は、今だと大砂嵐関のようなパワーのある外国人力士しか見られなくなってしまったなと。これから相撲協会の重役になっていくものだと思っていただけに、あまりにも早過ぎる死になってしまったと思いました。ニュースで報じられた時にもショックでしたね。


最後になりますが、音羽山親方こと元大関貴ノ浪関のご冥福を心よりご冥福をお祈り致します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:34Comments(0)TrackBack(0)