2022年10月04日

村上に劇的な結末が

東京ヤクルトスワローズの村上村上宗隆選手、今シーズン最後の試合になった横浜DeNAベイスターズとの一戦、最後の最後の打席で本塁打を放ち、シーズン日本人としては最高の56本塁打を達成。同時に打率・本塁打・打点の三冠王も達成しました。この三冠王は、令和になってから初めてなだけでなく、22歳という年齢も史上最年少となりました。


村上選手は、今年前半のヤクルトの快進撃を象徴するかのようなバッティングを見せ、マジック点灯後の7/13には30本の本塁打を放っていました7/31には史上初の5打席連続本塁打を記録し、絶好調・・・となっていた中で、新型コロナウイルスの疑惑(結果は陰性)が出てからは調子を少し落とし、それにほぼ歩調を合わせるかのようにヤクルトは一進一退を繰り返し、マジックも一時消滅してしまいます。
それでも村上選手はしばらくすると調子を取り戻し、8/11には40本、9/2には50本の本塁打を放ち、9/13には王貞治さんの持つ日本人選手としては最多記録になる55本の本塁打を放ちます(日本プロ野球の記録はウラジミール・バレンティンさんの60本)。しかし、その後13試合も本塁打が出ず、優勝した後もなかなか本来のバッティングができずにいました。そんな中、最後の試合の最後の打席で放った本塁打は、ファンだけでなく、恐らく本人にも印象に残るものになったでしょう。
ちなみに、打率は中日ドラゴンズの大島洋平選手と熾烈な争いとなり、調子の上がらなかった最終盤では、最後の試合で4打数0安打で終わった場合は、大島選手に抜かれる事態にまで陥ったいた中で、打率のタイトルを獲得したのですから、大いに誇っていいでしょう。


来年も更なる活躍を期待したいところですけど、そう上手くは行かないと思います。なので、来年はタイトルを取るのではなく、安定した成績を上げられるように、精神面での成長を期待したいところです。


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Posted by alexey_calvanov at 23:59Comments(0)

2021年08月07日

悲願の金メダル

東京オリンピックも終盤戦になりました。その中でも日本選手が奮闘しています。
その中でも、野球の日本チームがアメリカチーム相手に2-0で下し、遂に念願の金メダルを獲得しました。
日本チームは、公開競技時代(1984年のロサンゼルスオリンピック)に金メダルを獲得したことはありますが、公式競技になったアトランタオリンピック(1996年)から北京オリンピック(2008年)までの間に金メダルを獲得できませんでしたその間に野球が公式競技から外される格好になり、2016年のリオデジャネイロオリンピックで復帰を図ったものの叶わず、開催国だからということと女子競技であるソフトボールと共に行うことで男女格差を無くす努力を経て、やっとのことで実現したふうになりました。それゆえに、次回のパリオリンピックでは競技として行われないとのことなので、もしかしたらラストチャンスになるかもしれない。そんな中で日本の選手達は戦ったのです。


その試合は序盤から緊迫した展開になっていましたが、3回表に東京ヤクルトスワローズに所属している若き主砲の村上宗隆選手のソロホームランで先制しました。
その後アメリカが何とかして追い付きたいと奮闘したものの、投手陣が何とか抑え込み、試合は終盤に差し掛かりました。
8回表にヤクルトに所属している山田哲人選手のヒットから読売ジャイアンツに所属している坂本勇人選手が送りバントで走者を送って得点圏に進めると、オリックスバファローズに所属している吉田正尚選手が長打を放ちました。この長打はいい当たり過ぎたのか、アメリカの外野手の処理がよかったのか、得点圏にいたランナーはホームに帰れないと思っていました。ところが、その外野手がホームへ返球の際に暴投してしまい、それを見逃さなかった山田選手が本塁突入を図り、滑り込みで追加点を取りました。この際、ビデオ判定になったものの、山田選手の足が速かったことが立証され、追加点は認められました
2点取ったことで気が楽になった日本チームは、9回に登板した栗林良吏選手が何とか抑えてくれました


日本チームは、アメリカチームに1度目は最後の最後で逆転して勝ったので、今回は厳しい戦いになると思っていましたけど、本当に厳しい戦いだったと思います。それでも勝てたのは、日本の選手が一丸となって開催国で金メダルという目標のもとに戦ったからだと思います。そして、稲葉篤紀監督の選手時代に味わった悔しさもあったのではと思います。あの時に味わった後悔と悔しさが、采配の中にも現れていたのかもしれません。あの時こうだったから、今回は何とかして防ぎたいと。


先述の通り、しばらくオリンピックから野球とソフトボールという競技が無くなります早ければ、次々回のロサンゼルスオリンピック(2028年)に帰ってくるかもしれません。その時まで、日本の野球代表はワールド・ベースボール・クラシックやプレミア12などの国際試合で実力を研鑽してほしいと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 22:51Comments(0)