2019年09月10日

沖縄へ行く⑥

1泊2日の沖縄旅でしたが、今回はその沖縄に行ってきた時に聞いたこと・見たこと・感じたことをまとめてみました。いわゆる小ネタ集ですね(ニヤニヤ)。


  • 沖縄の道
    まず沖縄に行って感じたことは、とにかく道がきれいだったこと。高速・国道もさることながら県道も一般の道もきれい。ホテルのある路地の道も掘り返しの跡がほとんどないのよね。掘り返したんだろうなという道は那覇バスターミナルの前くらい。
    本土とかだと水道やガスの工事であちこち掘り返されて、道がガッタガタなんですよね・・・。それなのに、沖縄ではそんな道はほとんど無い。車で走っていても揺れがあまり無いので快適でした。

  • 沖縄の家
    沖縄県の家は、大きく分けると2つ。
    一つは古来からある家で、低い軒に石垣や生垣造りの塀で囲まれた瓦ぶきの木造の家沖縄では模造建築に最適な木々が少ないとのことなので、かなり貴重ではありました。
    もう一つはコンクリ造りの家戦後アメリカ統治下では木造の家が建てられたものの、沖縄の高温多湿な環境と台風の多さでアメリカ的な構造の家は役に立たず、やがてコンクリ平屋屋根に変わっていきました。イメージとしては、コンクリのビルが家に置き換わった感じでしょうか。
    ちなみに、沖縄の伝統として、守り神であるシーサーが置かれています。これは昔の家屋でも今の家屋でも変わらない伝統です。

  • 沖縄とアメリカ軍
    沖縄県にはアメリカ軍の基地があちこちにあり、日本にあるアメリカ軍基地の70%が沖縄県にあるとされ、このうち沖縄本島には15%を占めていると言われています。
    この土地は、戦後アメリカ軍によって強制徴用されたもの。ゆえに、現地の人達は帰りたいのに帰れない状況が今も続いているのです。そして、少しでも故郷のそばで・・・という思いから自分達の故郷の近くに家や畑を構えているのです。ましてや大きいなぁと思っても、沖縄本島は小さい島。住みやすいところも限られるので、密集してしまいます。それこそ山肌に張り付くように家を構えることも。
    しかし、アメリカ軍の敷地内にある家は、古くなっているとはいえ、広い庭のある家なのです。そばには芝刈り機も置いてあって、手入れも行き届いているのがわかりました。

  • 沖縄のお墓
    タクシーで目的地に向かう道中、お墓を見掛ける機会がありました。
    沖縄のお墓は2種類あり、一つは一族郎党が入るタイプのもの。大きな家みたいなお墓になっており、シーミーの時期などは、一家がそこに集まって宴会をするのが沖縄の伝統的な春の彼岸というふうだそうな。
    もう一つは、本土でいうところの『○○家の墓』というタイプ一族郎党に墓よりかは小さいとはいうものの、やはり本土の墓に比べたら立派。このタイプになるのは、一族郎党の中に気に入らない人がいるから嫌だという家族が分家して設置するというケースなのだそうです。
    いずれにしても、沖縄でも少子化が進んでいるとのことなので、前者の墓が維持しやすいということで、メインになっているようです。

  • 沖縄の田畑
    沖縄県の畑のメインは、サトウキビ。名産だったこともあって、あちこちに植えられています。うっそうとしているので、まるで森のよう。♪島唄でウージの森という歌詞が出てきますけど、ウージとは琉球方言でサトウキビのことを指すんですね。それくらいサトウキビはうっそうと生えているんです。
    サトウキビというのは、田んぼに稲を植える・・・というふうではなく、伸びてきたサトウキビを頃合いになったら刈るというスタイルなのだそうです。それを最大10年位のサイクルで行うそうで。どうやらサトウキビは刈った苗を植えたら勝手に育つそうだよ(爆)。
    サトウキビの収穫は、機械でも行われるそうですけど、コスト面から人海戦術の方が安いとのこと。一家総出で刈り取りを行うそうですが、かなりの重労働とのこと。それでもお小遣い稼ぎで若い頃はやってたよとは、私が乗ったタクシー運転手の話。
    ちなみに、サトウキビにも品種があり、テレビで有名になった歯でサトウキビを剥いて食べるシーンは、今の品種では難しいとのこと。今植えられている品種は太くかつ皮が厚く硬いものなんだって。台風で倒れることが多かったので、丈夫なものが品種改良で作られたのだそうな。

    そういえば、田んぼは無いんですかと聞いてみたら、水はけがよすぎて不向きとのこと。それでも沖縄本島の北部では稲作は行われているらしい。赤土と石灰の土だからね・・・。

  • 沖縄の度量衡
    SHV39_5604まずは、こちらの写真。
    いかにも沖縄らしいと思わされたのは、高さ表記日本はメートル表記が普通なのですが、アメリカ軍が駐留している関係で、括弧書きながらもフィート表記もあるのだ。まず本土では見られないものです。



    SHV39_5575そして、こちらはタピック県総ひやごんスタジアムにて。
    一部屋台のメニューは英語表記なだけでなく、ドル表記にもなっているのだ。
    もちろん、沖縄県は日本円しか流通していません。恐らくアメリカ軍基地内はドルが使えるという可能性もあるので、この表記になっているのかもしれません。現状は1ドル=100円以上の価値ですが、1ドル=100円というふうにしておけばわかりやすいのかもしれませんね。



    この他、沖縄高速自動車道には英語表記のみの看板がありました。これもアメリカ軍が利用する可能性があるからなのかねぇ・・・。
    また、パック入りの飲料の1000ml(1L)タイプが946mlで販売しています。これもアメリカの影響によるもの。アメリカ統治下では、パック飲料はガロン表記で売られており、1ガロンが37,850ml(3.785L)となり、1/4ガロンが946mlくらいだったのです。ちなみに、500mlタイプの場合は、473ml。丁度1/8ガロンとなるわけです。



次回は、お待たせしました。食レポです(ニヤニヤ)。


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Posted by alexey_calvanov at 23:18Comments(0)

2019年09月05日

沖縄へ行く①

先日、沖縄に行って来ました。
朝7時半のフライトだったので、朝一番の電車に乗って行くことになりました。

ご存じの通り、中部国際空港の公共交通機関としてのアクセス(名古屋方面)は名鉄(常滑線および空港線)かバスしか走っていないのです。名鉄で行くなら、ミュースカイや特急に乗るのが、大きな荷物を持って行くのに楽なんですけど、朝一番の電車は準急なので、停まる駅も多いし、時間も掛かる。およそ1時間ほど掛かって着きました。
まぁ、着いても時間はそれなりにあるんだよね。ちなみに、チェックインは2時間前だから朝の5時半から開いている。なので、着いた時にはもうチェックイン中だったんです。でもね、ジェットスターはオンラインチェックインができるので、メールが届いた時点でチェックインは済ませていたのだ。だからそんなに急がなくてもいいといえばいい。とはいえ、不測の事態に備え、早いうちに中部国際空港には行っておきたかったのだ。
今回も機内で食事を採るので、食べるものはそんなに買わず。長いようで短い待ち時間を過ごして、いよいよ乗り込みます。


中部国際空港から那覇空港までは約2時間。その間に機内食が出されるとはいえ、結構長丁場。札幌に行った時も、山形に行った時も、仙台に行った時も、福岡に行った時も、鹿児島に行った時も、機内の滞在時間は1時間前後だったので、やることが無くなってしまう。あらかじめダウンロードコンテンツでも落としておくべきだったのかもしれない。ジェットスターはWi-Fi積んでないからね。というわけで、途中うつらうつら。朝早かったし(ギャハ)。


SHV39_5517約2時間のフライトを経て、名のわからない小さな島(途中に橋の掛かった小島2つ)を経てやって来たのが、この写真の場所。青い空に青い海、海はサンゴ礁の島のようにも。
遥か彼方には沖縄本島、手前には小島がありました。そう、沖縄だ!沖縄に着いたんだ!



予定到着時刻よりも10分近く早く那覇空港に到着。早い到着だったので、ロビーをウロウロ。
空港内だけでも沖縄の独特な雰囲気を味わえましたね。沖縄でしか売ってない食べ物や飲み物、独自のコンビニや土産物店。しかし何よりいい天気でした(名古屋は曇りだった)からね。窓越しでもわかるくらいでしたもの。いい時期に来たなと思ったものです。


そうこうしているうちに、待ち合わせの時間に。前にも書いたように、今回はタクシーで回ろうと思っていたので、予約をしておいたんです。到着時間のことを考えて、10時半にしていたんですけど、それよりも少し早めに来て下さいました。いやぁ、『歓迎』なんて書いた紙持っていたから、こっぱずかしい(苦笑)。外国の映画でしか見たことなかったんだもの。まさか沖縄で体験することになろうとは・・・。


さて、ここから沖縄旅行の始まりです。サッカー観戦までは数ヶ所回ることにしていました。次回から、その回る場所を3回に分けて紹介していきましょう。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)

2017年12月20日

逆だろ!

聞けば聞くほど腹立たしい。


先日、沖縄県にある普天間基地そばの小学校に、基地から飛び立ったアメリカ軍のヘリコプターから窓が落下して、あわや大惨事になるという事態が発生しました。
その後、その小学校に「基地が作られた後、そのそばに建てたのだから文句を言うな」とか「基地で稼いでいるのだからいいだろう」などの中傷が25件も寄せられたのだそうです。この苦情と称した中傷を行った人間は、全く沖縄の戦後史をわかってない方々なんでしょうね。


皆様ご存じだと思いますが、沖縄の戦後史は他の都道府県とは違う歴史をたどっています
戦後約30年はアメリカによる統治の下で過ごすことを余儀なくされ、本土に渡るにもパスポートが必要でした。日本円は実質使えず、琉球政府が発行したお金かアメリカドルしか使えなかったのです。甲子園に出場した高校生が、甲子園の土を持ち帰ろうとしたものの、沖縄県に入った途端、検疫のために捨てざるを得なかった話は、沖縄の戦後史を語る上で重要な悲しい出来事の一つでもあります。

さて、戦後に作られた日本にあるアメリカ軍の基地は、7割以上沖縄県(沖縄県全体では17%ほど)が未だに占め、中には都市のど真ん中にあるという基地もあります。そうなったのは、戦後統治したアメリカ軍が接収したためなのです。しかも、その接収した土地は、かつて集落や田畑があり、中には墓地など沖縄県民(家族)のアイデンティティの象徴もあったのです。それを有無を言わさず強制的に接収されたのです。そして、基地があるがために、土地が足らず、学校などを基地の近くに建てざるを得ないのです。
そのような経緯があったことを、中傷していた人達は全く知らないのでしょう。ネトウヨの自分の都合だけで仕入れたニュースだけでこのような結論に至ったのではないかと邪推したくもなります。


こんなことにならないようにするためにも、日本史でも近現代史をきちんと教えることが重要だと思います。私は日本史はあまり好きではなく、世界史の方が好きだったこともあり、文系に進んでも世界史を選択科目で選んだほどですけど、それでも近現代史だけはきちんとやった記憶がありますできるだけ、学校の現場で近現代史を集中して行ってほしいのです。センター試験に出ないからという理由で軽視される傾向は、私の時からありました。試験は関係なく、一般常識として沖縄の戦後史は教えるべきなのではないのでしょうか。どれだけ沖縄の人達は苦しんでいるのか。どれだけ大変なのか。基地があることで潤っている人がいるのも事実ですけど、それは全体のほんの一握りだけなのです。
そしてアメリカ軍も、通常訓練の場合は、周辺住民への最大限の配慮を行うべきです。当時は何でも国の意向で・・・と押せたのかもしれないですけど、今はそうではありません。コンプライアンスの嵐吹き荒れる・・・と文句を言いたくなるのでしょうけど、今はそれが常識なのです。


沖縄県は、戦後日本の発展ために犠牲になっている側面があることを忘れないでほしい、ネトウヨが妄想する沖縄県への見方はほとんど全てと言っていいほど間違っている、そしてアメリカ軍は理由はどうあれ沖縄県民の怒りを軽視してはいけない、少なくともこの3つを私達は覚えないといけないのです。


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Posted by alexey_calvanov at 23:42Comments(0)