
東西線は2015年に完成。震災での建設中断など紆余曲折のあった路線でもありました。この路線にも「鉄道むすめ」がおりました。名前は青葉あさひで、仙台市交通局の職員です。
東西線の電車は結構コンパクトでした。名古屋の地下鉄より一回り小さいのかなと思いましたね。でも、設備は最新鋭。名古屋の地下鉄でもほとんどない小型ビジョンが設置されていました。

この駅構内には、せんだい3.11メモリアル交流館があり、2015年の駅開業と同時にオープンしました(フルオープンは2016年2月)。
中は、1階が交流スペースで、これから向かう荒浜地区とかつて向かったことのある蒲生地区の震災前と震災後の比較展示(スライドショーによるもの)が見られます。震災関連の資料が置かれているのもここです。2階は常設展示と企画展示のスペースになっています。
バスの時間があったので、スライドショーと展示をざっとになりましたが見て行きました。改めて5年以上経った今でも、復興道半ばであることがわかるだけでなく、蒲生・荒浜の2地区は人の住めないところになってしまったのが、残念でならないです。再び大きな津波が襲ってきた時に取り返しがつかないのはわかっていてもです。

東日本大震災を祈念して、京都にある枝垂れ桜を植えたものです。『浪分』という名は、駅から南西2kmほどにある浪分神社から来ています。
この荒井駅はバスターミナルにもなっており、仙台市の南東部に向かう拠点になっています。ここから農業園芸センター前経由旧荒浜小学校行きのバスに乗ります。
荒井駅から農業園芸センター前までは新興住宅地が並んでおり、きれいな街並みになっていました。

その本局も東日本大震災の前では無力と化し、津波による停電と非常用燃料の枯渇で一時停波する事態になりました。しかし、テレビのキー局でもあるTBSの支援により数日で復旧しています。
現在は、太陽光発電で電気を得ることができるようになっており、非常事態でも常に大出力の電波が流せるようになっています。
このあたりまで来ると、新興住宅地はまばらになり、かつて見たような、壊れたガードレールや家があったと思しき跡が見られるようになります。そうです、『被災地』です。
その被災地の中心に遺されたのが、旧荒浜小学校。生徒数の減少で今年の春に廃校になり、4/30から震災遺構として再オープンしました。次回は、その旧荒浜小学校を訪ねます。

