2024年10月24日

秋に東北に行く2024④

KYG03_20241005_123205911請戸小学校を出ると、写真ではわかりにくいでしょうけど、煙突のようなものが見えます。周辺にクレーンがあるので、恐らくこの先にあるのが、東京電力福島第一原子力発電所でしょう。
正直、もっと近くで見られるものなら見てみたいものですけど、一般人は立ち入り禁止区域になるはずなので、なかなか見られないと思います。



KYG03_20241005_123538935こちらは、「中浜地区大震災慰霊碑」浪江町と双葉町にまたがる中浜地区の犠牲者を追悼するものでもあり、東日本大震災の被災状況を伝えるものでもあり、この地区の成り立ちを伝えるものでもあります。
結局、この地区に住む人達は、災害危険区域に指定されて以来、避難指示が解除されたものの、戻って来ていません



KYG03_20241005_131902132先程紹介した場所から、さらに南西に向かう。双葉駅のそばにある交差点から国道6号を南下するとあるのが、「東日本大震災慰霊碑」です。東京からだと、約256km(256kmスポットより少し手前)のところにあります。



KYG03_20241005_131930112「東日本大震災慰霊碑」のそばには、放射線量測定器がありました。これを見ると、まだまだこの地域は、放射能の呪縛からは解かれていないと感じずにはいられません・・・。



KYG03_20241005_132400697双葉駅に近付いてくると、大きな壁絵(グラフィティ)が現れます。その一つが「HUMAN POWER」
インパクトのある色使いと笑顔が映える一枚です。



KYG03_20241005_132555503こちらは、「TOGETHER」。旧消防署の壁に描かれたものです。



KYG03_20241005_132625505そして、「FUTABA Art District」双葉駅前で展開した壁絵の集大成です。
2020年からTHE OVER ALLSという会社が始めた壁絵のプロジェクトは、当初町の人の協力がなかなか得られず苦労していたそうです。しかしながら、1枚絵を描くごとに町の人達の理解を得られるようになり、集大成を迎えた後も、この町で活動を続けています
賛否両論あるのでしょうけど、1枚の絵が与える力はすごいものを感じましたし、これでこの町を見に行こう・この町を知ろうというきっかけになるのなら、非常に安いものだと思います。というのも、彼らはプロとして活動しているので、報酬をもらって描いているのですから。



KYG03_20241005_134954520やっと双葉駅に着きました。
とはいっても、こちらは旧駅舎常磐線が全線復旧した際に、新しい駅舎が完成しました。残された旧駅舎は、双葉町の情報発信・休憩・待合スペースとして活用されています。



KYG03_20241005_133011597その中にあるのが、「希望のとびら」。まるで「ドラえもん」に出てくる「どこでもドア」みたいな格好のものになっています。
こちらは、2022年に避難指示が解除され、特定復興再建拠点区域になった際、解除の瞬間を表現するために用意されたそうです。



この後、普通列車に乗って、いわきまで向かい、そこからは常磐西線で郡山まで、郡山からは東北本線に乗って、福島まで向かいました

予定より少し早く着いたので、ご飯を食べてしばらくくつろいでいましたけど、本当は東日本大震災・原子力災害伝承館に行こうと思っていたんですよ。しかし、どこかで道を間違えて、ダイレクトで双葉駅に向かうルートを選んでしまったんですね。ただ、双葉駅からバスが出ているそうなので、次回行く時は、そのバスに乗って行こうと思っています。


次回は、今回頂いた飯の紹介です。


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Posted by alexey_calvanov at 23:55Comments(0)

2024年10月23日

秋に東北に行く2024③

KYG03_20241005_113004758苕野神社から徒歩で10分弱、請戸地区にある震災以降の一つ、請戸小学校にやって来ました。



KYG03_20241005_113023100請戸小学校は、海から300mほどだったため、東日本大震災で津波の影響を受けただけでなく、東京電力福島第一原発の放射線事故に伴い、避難を余儀なくされました。そして6年近く帰れないまま時は流れ、2017年に避難指示が解除されたことで、一部ですが、やっと復興への一歩を踏み出したのです。残念ながら、請戸小学校は統廃合されることになったものの、震災遺構として2021年に再出発することになりました。



KYG03_20241005_114904145校内には、絵本による説明書きがなされています。
この説明書きをまとめた絵本が、この小学校で販売されているそうです。恐らく書店でも手に入るのではないのでしょうか。



KYG03_20241005_1149437411階にあった2年生教室。教室内に壁が倒れていますけれども、震災当時は津波の影響で、教室から廊下に向けて倒れていたそうです。



KYG03_20241005_115018037津波の影響は、隣の教室にも大きく表れています。壁の鉄骨が逆くの字(南側から北側)に曲がっています。



KYG03_20241005_115056378こちらは、職員室にあった複合盤各室内の時計や火災報知を管理していたものだったのですけど、津波の影響で流されてしまい、機能を停止してしまいました。そのため校内の時計は、津波が到達したとされる15時37分を指したまま止まっているのです。



KYG03_20241005_115153772網の向こうに見えるのは、校長室にあった金庫。重厚なこの金庫も、津波によって倒されてしまいました。
この金庫の中身が取り出されたのは、避難指示が解除された2016年2月末で、中に入っていた書類は水は含んでいたものの無事で、校内の展示室に掲載されています。
なお、金庫そのものは、海風・風雨や時間の経過に伴い、真っ黒にさび付いてしまい、いつ朽ち果ててもおかしくない状況です。



KYG03_20241005_115239345こちらは、ランチルーム。全生徒が昼食を食べていたところです。



KYG03_20241005_115359478その奥にあったのが、調理室。この小学校だけでなく、他の小中学校の給食を調理していたようです。
津波の影響で、北側の方に調理器具が流されています。



KYG03_20241005_115454200反対側に回ってくると、その数の多さ・すさまじさがよくわかります。
しかしながら、南側にあった調理器具は津波の影響は全く受けず、震災当時のままきれいに並べられた状態だったそうです。



KYG03_20241005_115432273震災当時の避難ルート。
当時は、1年生以外の全生徒(82名)が残っており、地震が起こった直後に避難を決定し、大平山に向かったそうです。その後、避難所に向かうことを決め、下山した時に偶然通りかかったいわき市からやって来たトラックの荷台に全員乗せられて、無事避難できたそうです。



KYG03_20241005_115435047大平山に登ることができたのは、児童が野球の練習で山に登るルートを覚えていたからだそうです。この子がいなければ、山に登れず、津波に飲まれていたかもしれません。



KYG03_20241005_115702098こちらは体育館。
この日は、3/20に行われる予定だった卒業式と修了式の準備が行われておりました。しかし、地震が起こってから、放射能事故が起こったこともあり、長いこと戻ってくることも無かったため、そのままの状態になって放置されていました。
ここから見る分には、何も無かったかのように思えますけれども、床下を見ると、盛り上がったり穴が開いたりと悲惨な状況になっています。



KYG03_20241005_120034006こちらは見晴らし台。ここから見える景色は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。
ここには、津波の押し寄せた高さを示す津波到達点が設置されています。



KYG03_20241005_120123088この津波到達点は、2階に上る途中にも設置されています。つまり、この校舎は、1階は全て浸水したという意味でもあります。
この津波到達点は、3年生教室入口にも設置されています。入る直前に見えるので、そのインパクトは絶大でしょう。



KYG03_20241005_1201596512階は、一部のみ公開されており、家庭科室より西側は非公開となっています。



KYG03_20241005_121728508こちらは、模型復元プロジェクトで作られた請戸地区
これを見ると、かつての町は、ごく普通の田舎町だったんだなと感じました。



KYG03_20241005_1220362316年生教室には、メッセージの掛かれた黒板が残されています。
この黒板は、行方不明者の捜索に当たっていた関係者の方々の激励が書き込まれたのが最初で、その後一時立ち寄りができるようになった卒業生や住民による書き込みも増えていきましたが、避難指示解除に伴い、来校記念の書き込みも増えたことから、2016年2月に回収されることになりました。



KYG03_20241005_122222040小学校の北側にあるのが、先人の丘と呼ばれるところ。かつて共同墓地があったところです。
津波の影響で壊滅的な被害が出たため、墓地は大平山に新しい墓地(霊園)を作って移転されました。この霊園は、苕野神社に行く途中に見掛けましたね。



KYG03_20241005_122341595玄関に当たる部分にある請戸地区の地図。



やはり、どこの震災遺構もそうですけど、地震の影響と津波の影響が色濃く残っているのがよくわかります。同じような被災であっても、場所によってドラマが違うんです。そこで起こった出来事は似て非なるものなのだと痛感させられます。ただ、対策は一緒津波が来たら、すぐに逃げる。ただ、それだけなんですけど、非常に重要なんです。


そんなことを思いながら、次の目的地に向かいます。そのあたりは次回。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)

2024年10月19日

秋に東北に行く2024②

KYG03_20241005_104756425特急ひたちに乗って降りたのは、浪江駅。福島県双葉郡浪江町にやって来ました。現在でも2/3ほどが、帰還困難区域に指定されている東西に長い町です。「なみえ焼そば」で有名になりましたね。
ここから目的地まで、バスなどの公共交通機関が無いので、ひたすら歩いていきます。今回はひたすら東(海側)に歩いていきます。

その途中にあったのが、高瀬川というところ。とりあえず、堤防は残っているようなのですけど、もう河川敷が、うっそうとしているので、どこが川の境目なのかわからなくなっています。そして長い間、人の立ち入らなかったこともあってなのか、普通は川の流れをほぼまっすぐにするものなのに、ここでは蛇行しているところもありました川幅に対して川の水量が少ないので、とりあえず問題は無いと思いますけど、大雨が降って洪水が起こったら、どうなっちゃうんだろう。



KYG03_20241005_111450098浪江駅から、ひたすら東に歩いて約1時間10分ほど。少し開けてきた海岸部にポツンと建っている建物が見えてきました。これが、今回最初の目的地になる苕野(くさの)神社になります。少なくとも神話の時代からあるとされ、奈良時代には社殿があったそうです。
東日本大震災の時に、社殿などが流され、土台のみになっていましたが、帰還困難区域解除後の2023年7月に再建に向けて動き出し、その年の10月には上棟式を迎えました。そして、今年の2月に再建式が行われ、13年ぶりに神社が復活したのです。



KYG03_20241005_111640135鳥居を含めた正面から。



KYG03_20241005_111721280社殿を正面から。
見てもらうとわかりますが、社殿以外の建物は、神社周辺には全くありません遠くに工場があるくらいです。



KYG03_20241005_111851931もう一枚社殿を収めた。何かに使おうぞ。



KYG03_20241005_111838898震災の津波から残ったものもいくつかありました。



KYG03_20241005_112039618この神社の近くには、請戸(うけど)郵便局もありましたが、集落と共に流されてしまったそうです。
丁度私が、ここに向かう途中に集落を通り抜けてきたんですけど、駅からは遠いし、コミュニティバスの類も、もしあっても平日のみのようで、かなり不便だなと感じましたね。イオンがあるので、買い物にはそう困らないのでしょうけど、クルマありきの社会になってしまっているのが、今後心配ではあります。



改めて、震災の被害の大きさと震災からの復興を果たしたたくましさを感じましたここに人は住まねど、ここに住んでいた人々の想いや繋がりは、この神社を通じて残っていくことでしょう。


次は、かつての地区の学び舎に向かおうと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 18:56Comments(0)