2013年09月19日

運がよかっただけですわ

その一言だけで、任天堂をここまで育て上げたのなら、とても神懸かりだったと言ってもいいでしょう。


任天堂の3代目社長にして、戦後50数年間の任天堂を大きくしたといっても過言ではない山内溥(ひろし)さんが肺炎のため亡くなりました。

山内さんは、戦後すぐに祖父の会社である任天堂の子会社の専務に就任したものの、祖父が倒れたことですぐに社長の座が回ってくることに。当時の任天堂は労働争議で大揉めに揉めていた時期で、経営としてはかなり難しい中だったところを乗り切り、かるた・花札販売だけだった会社ディズニートランプの大ヒットで、ともすればバクチの道具としての認知しかなかったトランプを家庭の遊びとして普及させ、一大娯楽産業のトップメーカーにまで押し上げたのでした。

その後、トランプブーム終息に伴い、その穴埋めで行った多角化経営の失敗(代表例はインスタントライスとラブホテル事業。タクシー事業にも手を出していた)で多額の借金をこさえたのにもかかわらず、横井軍平さんがたまたま遊びで作っていたウルトラハンドが大ヒットおもちゃメーカーとして隆盛するきっかけを成し、後に光線銃をヒットさせるきっかけとなりました。
その光線銃もオイルショックの影響で事業としては失敗に終わり、再び多額の借金にまみれ、今度こそ万事休すと言われていたものの、その過程から電子ゲームへの勃興を生み出し、「ゲーム&ウォッチ」・「ファミリーコンピュータ」の大ヒットへ繋げていったのです。


早い話、先見の明があった・時代の流れを上手いこと汲み取ったからなのかもしれないのですけれども、それを山内さんは「運がよかった」の一言で片付けてしまっています。しかし実際は運だけでは片付けられないくらい多くの修羅場と成功のピークをくぐり抜けていると思いますね。


任天堂は、山内さんが就任した時以来の修羅場に差し掛かってると言えます。
コンシューマーが思った以上に売れない世の中は、山内さんが口酸っぱく言った『多角化は行うなかれ』というタブーを破らなければいけないほど酷いものになってしまっているのか?それを見定めるのは、HAL研究所を立て直した実績のある岩田社長の双肩に掛かっていると言っていいでしょう。何せ山内さんに見出されたのですから、やってくれるでしょう。


最後に、ゲーム業界を大きく育て上げ、かつ世界に名だたる日本のエンタテインメントの祖を築き上げた山内さんのご冥福を心からお祈り致します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:35Comments(0)TrackBack(0)