2014年12月18日

歴史的大転換

アメリカ・フロリダ半島から145kmほどにある島国キューバ。アメリカには非常に近いにもかかわらず、その歴史的経緯から非常に遠い国になっていました。


キューバは元々スペインが支配していたのですが、1898年の米西戦争で独立を果たしたものの、独立後はアメリカの保護国下に置かれ、1952年からはバティスタという軍人上がりの政治家による独裁政権(過去1940年から1944年まで大統領に就任していた)が続きました。アメリカの保護下に置かれていたこともあり反共政策を実施したため、社会主義革命を目指していたフィデル・カストロなどの活動家を弾圧していきました。
しかし、弾圧されたフィデル・カストロを中心として1959年にキューバ革命が起こると、バティスタ政権は崩壊。彼を中心とする社会主義政権が発足しました。当初はアメリカとの友好関係を維持しようとしたものの、ソ連寄りとの烙印を押され、反共勢力によるピッグス湾事件をきっかけに1961年断交することとなり、その緊張感は1962年のキューバ危機(キューバに核ミサイルが持ち込まれる可能性のあった事件で、状況次第では第3次世界大戦・核戦争になりかねない一触即発の危機でもあった)でマックスとなります。

アメリカはフィデル・カストロが政権を取って以降、経済制裁を実施。外部から揺さぶりを掛けたものの、ソ連・中国の援助により政権は盤石のまま迎えます。ところが、1991年にソ連が崩壊すると一気に経済制裁の効果が現れ、映像で見た人も多いかと思いますが、クラシックなアメリカ車が疾走する何とも言えない光景が見られるほど困窮状態に陥りました。それでもラテン気質なのか、キューバ政府のアメリカドル所持や私有財産の認可といった平等政策にひびの入る『劇薬』を施行したこともあってか、政権崩壊には至っていないふうで、2008年にフィデル・カストロは弟のラウル・カストロに政権を『禅譲』した現在でも健在となっています。

そして、12/18にオバマ大統領が長年続けていたキューバへの経済制裁を『時代遅れの政策』と称し、解除を決定。同時に国交正常化を図るべく交渉に入っていることを明らかにしました。既にキューバとは今年の6月からカナダなどで高官レベルでの交渉に入っていたとのこと。
これにより、キューバには国交回復だけでなく人的交流の推進・資金の自由な流入などプラス面が多くなり、困窮状態から脱出するものと考えられます。同時に政権の軟化も考えられます。


正直、ムダな制裁だったと思えてならなかったですね。結果的にはメリットもそうは無かったわけですし、北朝鮮とは違い国際社会に悪影響を与えていた国(特に1990年代以降)ではなかったので、日本人から見た場合、同情的な目でキューバを見ていたのではないかと思いますね。しかもキューバは逆に社会主義でそれなりの成功を収めていると思えるので、むしろ下手な不均等を巻き起こすより、軟着陸をさせて段階的に民主化を図った方が双方のためになるんじゃないかと思えたほどです。


しかし、今回の決定はきちんと通るのかが問題です。
今回の決定はレームダック(死に体)化したオバマ大統領が打ち出したレガシー作りの一環なのではと思っています。経済制裁解除に過半数の賛成があるとはいえ、自身の保身のためのように写らなくもないです。
そして政権与党になっている共和党の対応反キューバ政権を採っている共和党が上下両院を握っている中、今回の決定を軸にした法案を通せるかどうかで今後が決まるとも言え、オバマ政権にとってはまだまだ修羅場が続くというふうです。しかし、国際社会のほとんどがこの考えを歓迎すると見られ、国際世論の味方を材料にして今回の考えを押し通すしかないでしょうね。


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Posted by alexey_calvanov at 23:58Comments(0)TrackBack(0)