
朝9時に開場なのに、既に多くの人達がやって来ていました。ここ、入るまでに時間が掛かるのは必至なので、近くにあるまちなか観光物産館「お富ちゃん家」や仲町まちなか交流館で購入する、先述の上信鉄道の往復乗車券(富岡製糸場の入場券が付いている)を購入していくことをオススメします。なお、開場前なら「お富ちゃん家」か往復乗車券がベターでしょう。

もちろん、富岡製糸場は国宝・重要文化財・国指定史跡でもあります。

台座は、女工達に賜ったとされる扇子の形になっており、石碑には当時詠んだ句(和歌)が記されています。

まだ日本で西洋建築が確立されていない頃に作られておりながら、ほとんどを自前で揃えています。かつメートル法が確立されていないので、職人が尺間に直して建築したそうです。しかも建築精度はかなりのもので、30cmほどの沈降しかないそうです。
フランス積みの木骨レンガ造りで、木は繋ぎの無い一本柱になっております。なお、レンガの間に挟んであるのは、しっくい。よく武家屋敷などの塀に塗られていたアレです。

あと、繭が置かれるところだからか、思った以上に涼しい。というのも、すぐに乾燥させるため、窓がいくつもあるからなんですね。

最初は生糸の検査をしていたフランス人の住居として、後には事務所や貴賓室としての役割を果たしていきます。
東置繭所の時よりも建築がこなれてきているとは、案内してくれたガイドの弁。

後に電気が通るものの、まだ電気の無かった頃には、輸入品だったガラスの入った窓を大量に用意し、採光していたそうです。

なお、この全自動式の操糸器を作ったのが、ニッサン。そう、あの日産自動車です。当時は後に日産自動車と合併されるプリンス自動車が全自動式の操糸器を開発しています。アプローチは違えど、トヨタ(豊田自動織機)も日産も日本の軽工業を支えていたんですね。


操糸器を動かすためなどに使われたこのエンジン、大型連休中特別に動かしておりました。


ブリュナエンジンを動かすため、糸をよるためにはきれいな水が必要ということで、その水をためるために置かれたものです。現地で組み立てられたとのことだそうです。

この他に、西置繭所も現在修復中。5年計画で修復しているそうです。実際見に行ったんですけど、屋根の瓦とかも全部はがして組み直したり、木造部分も当時のままに修復を施すなど、手間暇掛かっておりました。何せ、世界遺産ですから、下手なことはできんわけです。
これでも、半分も説明できていないと思いますわ。広い施設なので、一度行って見てほしいです。日本の歴史(特に近現代史)を語る上では外せないところですからね。
でも気が付いたら、もう2時間近くおったわ(苦笑)。その頃になると、開いていないお店も開き始め、小腹も空いた。よし飯だ(爆)。
というわけで、次回はそこで食べてきたものの紹介です。

