昨日から今日に掛けて、大物選手が引退を表明していますね。
埼玉西武ライオンズからは、松井稼頭央選手が引退を表明しました。
走攻守の三拍子が揃った名プレイヤーで、遊撃手や外野手として名を馳せていましたね。打撃もスイッチヒッターながら長短どちらの安打も期待できて素晴らしいし、盗塁もよくやってた。トリプルスリーもサイクルヒットも2000本安打(日米通算2500本安打も)達成し、まさに大打者の代名詞をほぼ総なめにしていると思います。
中日ドラゴンズからは、浅尾拓也・岩瀬仁紀・荒木雅博の3選手が引退を表明しています。
岩瀬・荒木両選手は2007年・2010年・2011年の優勝(2007年は日本一)の立役者で、3選手とも落合博満元監督時代を支えた人達でもあります。
浅尾選手は主に中継ぎで活躍し、2011年には防御率0.41(79試合登板)でリーグ初の中継ぎでのMVPを獲得しています。通算200ホールド(9/27現在)も十分に素晴らしい成績です。ここ数年はケガに悩まされ、全盛期の速球(150km/h以上)が投げられなくなって技巧派に移ろうとして失敗してしまったというふうでしょうかねぇ・・・。
岩瀬選手は当初は中継ぎで活躍し、落合元監督の時に抑えに指名。以降は鉄人とも言える活躍を見せ、2014年には400セーブを達成するという前人未到の記録を達成しています。2015年にケガで出られなかった以降は中継ぎ(ないしはセットアッパー)として活躍し、まだまだやれるというふうに思ってたんですけど、本人は限界を感じたんでしょうね。左腕から繰り出されるキレのあるスライダーは今後も語り草になるでしょう。
荒木選手は遊撃手と二塁手として活躍し、後に巨人に移籍して引退した井端弘和さんと共に鉄壁の二遊間を形成し、アライバコンビとして知られていました。当初はよくなかった打撃も自身の努力で磨き上げた不撓(ふとう)の人で、2017年に2000本安打を達成しています。足も速く2007年に盗塁王を獲得しています。ここ数年は若手の伸びない中日の中でも若手が徐々に顔を出し、活躍の機会を減らしていました。荒木選手もまだやれると思っていたんですけどね・・・。惜しい限りです。
そして、オリックス・バファローズの小谷野栄一選手も引退を表明しました。
小谷野選手といえば、北海道日本ハムファイターズ時代の4番打者が一番印象に残っています。いわゆる繋ぎの4番で、パッとするような華やかな当たりはないものの、しぶとい・渋い当たりで打者を返すことのできた選手だったと思います。また内野(遊撃手以外の全て)・外野も守れる貴重なユーティリティープレイヤーだったことも忘れてはいけません。オリックス時代からケガが続き、引退の理由もケガの痛みを止めるための注射を週3回打っていたとのことで、辛かったと思います。
今回紹介した全ての選手が、本当に素晴らしい活躍をしていた方々で、松井選手などは国際大会の活躍も見せていました。今後も素晴らしいコーチや解説者になって、戻ってくるものと信じております。本当にお疲れ様でした。