2014年02月23日

急転直下、ウクライナ

ここにきて、ウクライナが一気に緊迫化してきました


ウクライナという国は、旧ソ連の構成国の一つ(とはいうものの、かつては国連に議席を持つ国でもあった)。ヨーロッパの穀物庫といわれるくらいに豊かな農場が広がる農業国(主な穀物として、小麦およびひまわりの種)でもあります。しかし、東部を中心に工業地帯もあり、そこには主にロシア人(ロシア語を母語にしているかロシア支持のウクライナ人含む)が住んでいます。また南部にあるクリミア半島にはロシア軍の基地もあり、帝政ロシア時代から現在に至るまで戦略的拠点でもあります。その証左として、1954年までクリミア半島はロシア領で、スターリン死去後に就任したフルシチョフが『贈り物』と称してウクライナに譲渡したという経緯があります。さらに、クリミアは現在はロシア人が多い地域ではあるものの、元々はウクライナ人でもロシア人でもない独自の民族(タタール人の一派)が在住していました


そんなウクライナは、再独立(1917年に独立した経緯あり)後、ヨーロッパ協調派と親ロシア派との路線対立が規模の大小関わらず見受けられていました。それが今日暴力を伴う対立にまで先鋭化していったのです。
再独立当初は親ロシア派が政権を握っていましたが、2004年のオレンジ革命でヨーロッパ協調派が政権を奪取一気にEU加盟にまで進もうとしていたのですが、その急進的な政策に危機感を感じたロシアが露骨とも言える経済政策(異常に釣り上げた価格および供給停止)でウクライナだけでなくヨーロッパにも揺さぶりを掛けてきたことから、徐々に親ロシア派が伸長し、2010年の大統領選挙では親ロシア派政権(今回辞任に追い込まれたヤヌコビッチ政権)が再び実権を握りました
それでも、その差は拮抗していたため、ヤヌコビッチ政権は親ヨーロッパ政策を採らざるを得なかったのですが、2013年末に行われるはずだったEU加盟の前段階である政治・貿易協定の調印を拒否したため、民衆が激怒。以降大規模なデモになっていました。しかし、2014年を過ぎた頃から先鋭化をし始めたため、双方休戦で頭を冷やそうとしたところに過激派勢力(極右勢力)が休戦を支持した双方に対し武力で対抗(それをデモ隊が支援)したことから、特に政権側が一気に崩壊する事態になりました。
まだ正式にはヤヌコビッチ政権は崩壊したわけではなく、支持者の多い東部で政権に留まることになるでしょう


ところで、ウクライナは先述の通り、西部にヨーロッパ協調派・東部とクリミアにロシア支持派がいる状況で、仮に西部の支持者がEU加盟を急くことになれば、東部は黙ってないと思われます。そうなった場合、ウクライナの東西分裂は必至で、最悪の場合、正当な政権を巡る内戦に発展しかねないと思っています。もちろん、EUは西部のみの加盟ではなく、東部・クリミアも含めた一つのウクライナでの加盟を求めることでしょう。しかし、そうなれば、親ロシア派の思うつぼになり、再びウクライナはロシアの実質的な支配下に置かれることになるでしょう

そこまでウクライナ西部の人達が反ロシアを打ち出しているのかというと、歴史的にヨーロッパ支配(特にポーランドやリトアニアの支配)が長かったというのもあるのですけど、旧ソ連のくびきから脱したいというのもあるでしょう。旧ソ連(この場合ロシア)に従属するのは、ウクライナ人というアイデンティティを失いかねないという感情が働いているものと考えられます。またEUに加盟すれば豊かな地域への移動も容易になるというメリットもあります。


今後は、親ヨーロッパ派の政権が、いかに東部の人達にEU加盟のメリットと東部への妥協ができるかに掛かっているでしょう。現状でも血で血を洗うふうになっているのに、今後さらなる血を流す事態は避けたいものと思っているでしょうから・・・。


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Posted by alexey_calvanov at 23:51Comments(0)TrackBack(0)