2016年08月09日

谷繁、事実上クビだってよ

中日ドラゴンズの谷繁元信監督が、シーズン途中での休養を発表しました。同じく佐伯貴弘守備コーチも休養することになりました。中日の佐々木社長は谷繁監督の休養を球団側が要請したものということを明らかにしたので、事実上の解任になったとも取れます。


谷繁監督は、2014年から高木守道元監督の後を受けて選手兼任(中日では1955年の野口明さん以来59年ぶり3人目)という形で就任。マスクをかぶりながらチームの指揮を執る(ただし、森繁和ヘッドコーチが谷繁監督がマスクをかぶっている時の監督業を代行していた)という変則的な体制になっていました。
しかしながら、選手兼任時代は4位(2014年)・5位(2015年)と振るわなかったことから、若手の活躍を期する意味も込め、選手としての活動を終え、監督専任で今年は臨んだのです。奇しくも同じ現役で活躍していた巨人の高橋由伸監督が監督専任で指揮を執ることになったのですが、戦力の差こそあれど、対照的になってしまったのが印象的です。
今シーズンは外国人を中心に新戦力を整えたものの、序盤だけよかった以外はいいところなし。特に投手陣が崩壊している状況で、中継ぎ以降の構築に失敗したとも言える状況になっています。抑えがいないというのはどうしようもないわねぇ・・・。


まだ盛り返せる位置にあるとはいえ、最下位では休養(解任)やむなしでしょう。森繁和監督代行の下、振るわない投手陣の再建を早いこと行うべきでしょう。ここはトレードでもいいので、中継ぎの補強を行うべきでしょう。あとは活きのいい若手でローテーションを回していくか。ただクライマックスシリーズに行きたいとなった場合は、実力のある選手の奮起がカギになるでしょう。


問題はその後、シーズン終了後になるであろう後任監督選びでしょう。
待望論はあるものの、諸問題で就任は無理とされる立浪和義さんかなるのか、それ以外のOB招へい(鈴木孝政さん・小松辰夫さん・中村武志さんなど)なのか、それとも2軍監督の小笠原道大さんが昇格するのか、予断は許さないですね。


しかし、今年は東海地方のプロチーム受難の年ですなぁ。ここまで来て、あのクラブは動かないという、何という残留力(爆)。


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Posted by alexey_calvanov at 22:58Comments(0)TrackBack(0)

2015年09月13日

中日のベテラン選手に忍び寄る『引退』の二文字

先日、中日ドラゴンズの和田一浩選手が引退を表明しました。
和田選手は今シーズンに関しては、膝を痛めた影響で開幕に遅れ、若手の台頭もあって代打要員で過ごすことが夏あたりから多くなってきました。それでも3割近い(.283。9/13現在)打率を規定打席に達していない中でも残しているのは驚異的で、まだ引退するのは早いのではと個人的には思っています。思うに、主力で出られなくなったら引き際だと感じていたからでしょうね。


この和田選手の引退報道を皮切りに、中日のベテラン選手の去就(特に引退や戦力外通告)が取り沙汰されるようになりました

まず、小笠原道大(みちひろ)選手ですが、彼にも引退するのではないかと言われています(既に中日スポーツが引退と報じている)
今シーズン、春先はこれまた驚異的と言われた代打成功率を誇っていましたけれども、当たりの止まった6月以降2軍落ちになっていましたつい先日再昇格し、安打を放っていますが、その試合後のインタビューでは煮え切らない(答え辛い)反応を示していたのが印象的でした。特に今シーズンは大きなケガも無く、和田選手と同じく規定打席に達していないとはいえ、3割以上の成績(.326。9/13現在)を残しているので、まだ引退したくないと思う部分になっているのでしょう。
少なくともあと1年はやれると思ってます。地元でやらせてあげられないものでしょうか?

この他にも、川上憲伸選手や岩瀬仁紀選手も引退(戦力外通告)ではないかと言われています両者共に今シーズンケガで1軍登板ができなかったので、さもありなんと思っていましたが、思った以上に早かったなぁと。同様に今シーズン1回登板して以降2軍にいる山本昌選手も去就が問われています。さらに選手兼任でプレーしている谷繁元信選手兼任監督も選手としてプレーできるのかとも言われています。かつて、ヤクルトで同様の形態でプレーしていた古田敦也さんも監督2年目で選手としての戦力外通告を受けているだけに、その可能性がないとも言い切れません。下手をしたら監督としての契約も(4年契約とはいえ)打ち切られる可能性もはらんでいるだけに、クローズアップされた場合、一気に注目されることでしょう。


まだまだ当落選上にいるベテラン選手は何人かいるのでしょうけど、ここまで引退が取り沙汰されるのは、2006年のヤクルト以来だったと思います。そうなったのは、ひとえにカネの問題もあったのでしょうけど、元々中日がベテラン選手を多く抱えていたという問題点もあったのだと思います。


今回の一件で、中日は一気に若返りが図れるのか、それとも更なる『リストラ』を繰り出すのか、来シーズンはいずれにしても注目されそうです。


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Posted by alexey_calvanov at 16:20Comments(0)TrackBack(0)

2014年07月23日

ノムさんを越えた!

中日の谷繁元信選手兼任監督が、昨日(7/22)のDeNA戦で3ランホームランを放ったことで、新人時代から続けている毎シーズン本塁打の記録を伸ばしただけでなく、野村克也さんが持っていた25年の連続本塁打記録を破る26年連続本塁打記録となりました。


谷繁選手兼任監督は1988年のドラフトで当時の大洋(現DeNA)に入団。新人時代からマスクをかぶる機会が多くありました(そのため、打席に立つ機会に恵まれたとも言える)。1997年~1999年、2001年~2005年には2ケタ本塁打を放っており、ホームランバッターではないものの、要所で勝負強さを発揮していました。
2014年は選手兼任監督に始めて就いたというのと若手の育成、さらにひざのケガをしているとも言われているためか、スタメンマスクないしスタメンマスクとの交代で出場する機会がめっきり減り、この時期でも本塁打が出ていないため、もしかしたら今年は無理なんじゃないか・・・と思っていた矢先に出たので、やっぱりこの人は違うなぁと思ってしまいましたね。
また、本塁打の出た球場が古巣の横浜スタジアムなのも、何かしらの因縁があったのでしょうかフェンスが高いながらも本塁打が出やすい球場とも言えるので、谷繁選手兼任監督のようなホームランバッターではない選手でも出やすいんでしょうね。ただ、打球の勢いはすごくて、打った瞬間にスタンドに吸い込まれるなとわかるような当たりでしたけどね。


しかし、谷繁選手兼任監督には、まだ残されている記録があります。それは捕手として出場した試合数野村克也さんが残した3016試合を越えるというのがあります。
残念ながら出場機会が少なくなってしまったため、今シーズン中の達成はできなくなってしまいました。しかし、もしかしたら来年の今頃、その記録を達成したという話が書けるのかもしれません。そのためにも、大きなケガなくシーズンを過ごして、もう一つの偉大な記録を塗り替えてほしいものです。


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Posted by alexey_calvanov at 23:24Comments(0)TrackBack(0)

2014年03月27日

川上先発!?

プロ野球が明日(3/28)、セ・パ同時に開幕しますけれども、先日セ・リーグではファンミーティングというイベントが行われ、その中で事実上の開幕戦の予告先発を行っていました各球団が自信満々に先発の名を告げる中、中日だけが言いくぐもるというふうになりました。しかし、周囲にけしかけられる形で、谷繁元信選手兼任監督が最後の最後で明かすというふうになりました。

その中日の先発は誰なのかというと、川上憲伸選手。2012年に中日に復帰するも、成績不振で2013年戦力外通知を受けたものの、落合GMと谷繁選手兼任監督による手ほどきで再契約に至った選手でもあります。その川上選手が何と先発の中でも重要な開幕戦の先発を担うことになったのです。
川上選手を先発にした理由として、谷繁選手兼任監督は「一番頑張っているから」と発言していますが、この決め方、どこかで似たようなことなかったでしたっけ?
ええ、思い出した方もいらっしゃることでしょう。そうです、川崎憲次郎さんです。

中日に移籍してから全く活躍できなかった川崎さんは2004年の開幕戦に先発していますが、この時は情報漏えいがないかどうか・横一線に並んでいるチームの状況に刺激を与える意味で起用したとのことだそうです。まさかとは思うんですが、一番頑張っているは建前で、本音は川崎さんと同じように、情報漏えいがなかったかとか横一線のチームへの喝という意味で川上選手を指名した、ゆえに言いたくなかったのではないかと思います。


果たして、川上選手の起用は吉と出るか凶と出るか、スタートダッシュは成功するのか
運命の開幕戦は18:00よりナゴヤドームで広島を相手にして行われます。


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2013年05月06日

プロ野球を象徴する2人が2000本達成

昨日(5/5)にDeNAベイスターズの中村紀洋選手、今日(5/6)は中日ドラゴンズの谷繁元信選手が2000本安打を達成しました。実は、5/5にも双方が2000本安打達成(もし実現していれば史上初の出来事だった)というメモリアルデーだったのですが、中村選手がお先にといった感じで先に達成するという経緯がありました(その時に花束を渡していたのが、皮肉にも谷繁選手)


中村選手は1991年に近鉄に入団。新人になる1992年から第一線で活躍(レギュラーを獲ったのは1994年)。以降持ち前のフルスイングで近鉄いてまえ打線の核になっていました

ところが、近鉄・オリックスの球団合併に伴い近鉄が消滅すると、大リーグへの移籍を表明することに。ただ、大リーグの1年は全くと言っていいほど活躍できず、事実中村選手にとって、この時期は黒歴史的な扱いをしているようです。

その後2006年に、近鉄消滅後の分配ドラフトで一時的に在籍していたオリックスに復帰したものの、ケガの扱いを巡る球団との対立で退団翌年の2007年になっても移籍先が決らず煮え切らない中、中日が手を上げ、テスト生として入団することになりました。ここでの活躍は神懸かり的なものがあり、中村選手の評価をさらに上げたとも言えます。

2008年にはフリーエージェント権を行使して楽天に移籍したものの、期待されていたほどの活躍ができず自由契約に。トライアウトなどを経て2011年に横浜(現DeNA)に拾われる形で入団することになりました。

時に奔放な発言をするなど中村選手は色々言われていますけれども、信念を曲げないところは一貫していると思います。それだけ苦労人の節はあるのですけど、今ではあまりいない職人的なプロ野球選手なのかもしれません。


一方谷繁選手は、1988年に大洋(現DeNA)に入団新人時代から正捕手として活躍し、横浜の優勝に貢献した名キャッチャーとして成長します。
2001年には大リーグへのフリーエージェント宣言を行ったものの、よい結果が得られず中日へ移籍。以降中日の正捕手として10年以上屋台骨を支える存在になりました。その間無くてはならない存在になったのは言わずもがな。

なお、今回の2000本安打達成で、昨年達成したヤクルトの宮本慎也選手を抜いて最年長達成選手となりました。

なかなか打てないポジションとも言える捕手で、ここまでやってのけたのは、野村克也さん・古田敦也さん以来3人目。伝説のキャッチャーの仲間入りを果たしたとも言えるわけです。


しかし、彼らはこれを通過点としてしか見ていないようで、更なる上を目指しているようです。
中村選手は自らのフルスイングの象徴とも言える本塁打の通算本数400本が目前に迫っており、谷繁選手は1000打点が同じように目前に迫っています。また谷繁選手は出場試合数で王貞治さんを抜く可能性をもっており、またさらに偉大なキャッチャーへ一歩進めようとしているのです。


ここまで来たら、さらなる記録を積み上げ、歴史に残る選手担ってもらいたいと思います。本当におめでとうございます。


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Posted by alexey_calvanov at 23:54Comments(0)TrackBack(0)