2025年06月03日

【長嶋茂雄の功績は】野球界の大きな巨星が堕ちた【永久に不滅です!】

元読売ジャイアンツの選手・監督で活躍した長嶋茂雄さんが、今日の朝に肺炎で亡くなりました。89歳と大往生でした。ミスターと呼ばれることが多かったですけど、一部の世代からはチョーさんと親しみを込めて呼ぶ人が多かったですね(恐らく王貞治さんのワンちゃんと掛けているのかもしれない)。


東京六大学野球(立教大学)のスター選手として活躍した長嶋さんは、1958年に巨人入り。以降世界のホームラン王として名を馳せた王さんと共にON砲を組むこととなり、4番として巨人の中軸を担っていました
現役17年の間に、首位打者6回・本塁打王2回・打点王5回という記録を残していますが、現役時代に限って言えば、天覧試合でのサヨナラ本塁打、華麗なグラブ捌き、豪快なバットスイングで三振する姿(ただし三振数は非常に少ない選手でもあった)、そして引退セレモニー時に発した「我が巨人軍は永久に不滅です」の一言など記憶に残る選手として有名になったという人も多いのではないのでしょうか。

その後、巨人の監督として1975年~1980年の6年、1993年~2001年の9年、累計15年巨人の監督を務めました第1期の6年間は現役引退後ということもあってか、なかなか上手くいかず、巨人を初の再開に導いてしまった年もあり、監督としての資質が無いと言われることもありました(「名選手名監督にあらず」と言われるきっかけになったとも個人的には思っている)。第2期監督に就任してからは、他球団から主力選手を獲得するなどの積極補強に動いたことがきっかけで、1994年・1996年・2000年に優勝(そのうち1994年と2000年には日本一)を果たしています。特に1996年の優勝は、11.5ゲーム差をひっくり返し、中日ドラゴンズとの「10.6決戦」を制したことでメークドラマと言われるものになり、2000年は福岡ダイエーホークスの監督だった王さんとの対決になったことから、「ON対決」と言われる日本シリーズとなりました。


選手としても監督としても華麗な一面を見せていた長嶋さんでしたが、長嶋語録と言われる素っ頓狂な一言、野球場に息子の長嶋一茂さんを置いて帰ってしまう(しかも何度も)、バントのサインでバントの構えを見せる、野村克也さんのささやき作戦にも動じないどころか野村さん自身を困惑させるセリフで返すなど風変わりな一面を見せることもありました。ともすれば、ちょっとおっちょこちょいな面もファンに愛される一面なのかもしれません。


その後は、アテネオリンピックで監督を務める予定でしたが、直前に脳梗塞に罹り、夢かなわずに野球現場から去らねばならなくなりました。ただ、懸命なリハビリで1年後には野球関連のイベントに復帰献身的に野球の普及を図る姿が印象的でした。
亡くなられた日も、奇しくも現役の背番号だった3に絡み、かつ次女の長島美奈さんの誕生日だったそうです。
一番辛いのは、盟友だった王さんだったでしょうね。自身も、「誰もがこの日が来るわけですけど、一番迎えたくなかった」・「ありがとうございましたとしか言えなかった」と称しているだけに、余程堪えたんだろうなと。


日本プロ野球を国民的行事に昇華した功績はとてつもなく大きいです。あの世でも野球界を見守って下さい。心からご冥福をお祈り致します。


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Posted by alexey_calvanov at 23:57Comments(0)

2013年08月14日

2013年夏もコミケやら色々と行って来ましたよ④

いよいよ東京スカイツリーにやって来ました。
完成してからスカイツリーにやって来るのは初めてで、寄る機会はあったものの、時間がなくて・・・というパターンが多かったんですね。
とはいえ、スカイツリーに簡単に登れるかと思ったら、整理券配布はいまだ続いていて、午後3時頃に着いた時には午後5時になるようで。そんな時間まで待ってられんということで、今回は登らず、ソラマチに向かうことに。


ISW11F_0642今回向かった目的というのは、この「鉄道むすめ」の姫宮ななを撮りにいくため・・・ではなく(ニヤニヤ)。



ISW11F_0644こちら。
スペース634で行われた「国民栄誉賞受賞記念 長嶋茂雄・松井秀喜の絆」展ですよ。



ISW11F_0645こちらは、長嶋茂雄さんと昨年引退した松井秀喜さんの国民栄誉賞受賞を記念し、両氏のプロフィールとゆかりの品、そして読売新聞(報知新聞)主催ということもあって、当時の記事の掲載なども行っておりました。
最終日ということもあって、すごい呼び込みでした(爆)。人はそれなりにいましたけどね。



ISW11F_0646この中で今回初登場の品もいくつかありました。
その一つ、松井さんが選手時代に巨人の選手寮の畳部屋で素振りの練習をしていた時の畳
当時松井さんは打撃改造と弱点克服のために、長嶋さんがコーチとなり、手取り足取り教えていました。その時の選手寮が畳部屋だったことからこういったものが残っているんでしょうね。猛練習の跡がよくわかります。
ちなみに、畳がすり減るほど素振りをやったというと、王貞治さんと荒川博さんとの二人三脚で一本足打法を生み出した時の畳を思い出しますね。その時と同じくらいに苦労したからこそ、今日の松井さんがあるのだと思うと、感慨深いですね。



ISW11F_0647そして一番見たかった国民栄誉賞でもらった金バット。長嶋さんのものだったかと。
金とはいっても確か金メッキだったはず。ピカピカ光ってありがたやありがたや(笑)。



ちなみに、スカイツリーの最寄り駅は東武伊勢崎線にある、そのものズバリのとうきょうスカイツリー(旧業平(なりひら)橋)駅京成押上線・都営地下鉄浅草線・東京メトロ半蔵門線・東武伊勢崎線の押上駅になるのですが、次の目的地に向かうためには後者の方がいいということで、スペース634からは結構近い押上駅に。


で、次の目的地というは、TBSのある赤坂夏サカスに行って来たんだよ。そこで驚かされることになるのだが。


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Posted by alexey_calvanov at 23:38Comments(0)TrackBack(0)