2011年09月11日

不用意な発言よりこすったことが致命傷

民主党の鉢呂吉雄経済産業大臣が9/10夜に会見を開き、辞任することを伝えました。
鉢呂経済産業相は、9/9の記者会見上で発した「周辺の市町村は人っ子一人いない、まさに死の町という形」といういわゆる「死の町発言」と9/10に発覚した9/8の非公式の記者団懇談会でとある記者に行った服をなすり付け、「放射能を付けたぞ」という旨の発言の責任を取っての引責辞任を取ることになったわけです。


この発言に関して思ったのは、後者の方に責任があり、もし仮に前者だけであれば、そう目くじらを立てて見るべきではないとも感じていました。
というのも、この発言があくまで、それだけの被害になってしまっているということを端的に表したかったため、こういう表現になったのではないかと思えたからです。まずい発言ではあるのかもしれないものの、「しかし、これを見て経済産業相としてやるべきことを全うし、是非とも活気ある町への礎を築きたい」という一言でも付け加えられれば、実に素晴らしい会見になった可能性もあります。
実際、変わり果てた街の姿は、それを連想させるものでもありました。また、マンガで描かれた日本の歴史の中で、戦後進駐してきたアメリカ兵が焼け野原を見て「まるでゴーストタウンだ」という発言を書いたものもあります。これに対しても目くじらを立てるのでしょうか。戦後の焼け野原を連想し、そう言ったり書いたりした人達にも「逆なでした」と怒るのでしょうか。
ちなみに、ほぼ同じ時期に、自民党の石原伸晃幹事長がアメリカの同時多発テロに対し、「歴史の必然として起こったのではないかと思う」発言を行っています。これもアメリカの単独行動(実際酷くなったのは、同時テロ事件以降)を批判した内容として捉えれば、ほぼ間違いない内容だと思います。これも不適切として目くじらを立てるべき発言ではないはずです。この発言と正直同等だと思います。

むしろ問題なのは、「放射能を付けたぞ」と称してこすりつける行為ではないかと。あまりにも子供じみたもので、実際これをきっかけに子供がマネしかねないですし、真っ先にいじめの対象で使いかねないです。それだけこの行為は一国の大臣としてあるまじきものと考えられます。これはもう擁護しきれないですし、これで辞めないのならば、人間としておかしいとも思えてなりません


いずれにしろ、今回の辞任は妥当で、野田首相はいきなり窮地に追い込まれたわけです。後任人事には慎重さを持って当たってもらうと共に、閣僚に対し不要かつ不用意な発言をさせないように目配せをしなければならないと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 21:56Comments(0)TrackBack(0)