
その道すがらには、津波によって折れたと思われる街路灯と思しき跡が見られました。震災の痕跡が徐々に消えていく中、この痕跡も貴重な語り部ではありますが、やがてかさ上げ工事によって消えてしまうのかもしれません。

ちなみに、このセルフスタンドは、営業時間を縮めながらも元気に営業中(震災前は24時間営業を行っていたらしい)。

近くには追悼施設が建てられています。


実は、石川啄木の記念碑は高田松原の頃からありました。というのも、石川啄木が高田松原を訪れたことを記念して歌碑が設置されていましたが、震災の津波によって流出してしまいました。この記念碑は2013年に高田松原に置かれる予定だったのですが、復興工事の進捗状況を鑑みて、復興公園が完成し移設できるまでの間、ここに仮置きされているとのことだそうです。
ちなみに、津波で流された句と今回据えられた句とは違うものだそうです。この歌は「一握(いちあく)の砂」から採られたものです。

中は、復興までの道のりや、これからの復興計画などが展示紹介されています。
もう少し引きで撮っておくべきだったと少々後悔。

津波により、壊滅的な打撃を受けた施設の一つです。


この松は先述の「陸前高田復興まちづくり情報館」にも置かれているのですが、改めて見て、津波の恐ろしさと破壊力、そして朽ち果てた松があの時の状況を語っているかのように、じっと座しているその姿を見て、言葉が出て来なくなりそうでした。もう松の姿を見ただけで、いかに大変だったのかがわかるのですから・・・。
そうこうしているうちに、バスの時間まで30分くらいになったので、茶屋に寄って土産を買い、バス(BRT)に乗って、元来た道を帰って行くのでした。17時過ぎに現地を出て、仙台に戻って来たのは20時過ぎ。新幹線を使っても3時間ほどかかるのですから、思った以上に遠いんだなと再認識(ちなみに、仙台から陸前高田まで約150km)。
今日はホテルに泊まって、明日のために策を練ることにしました。何せ行き当たりばったりでしたから(苦笑)。

