2022年05月03日

陸前高田でへべれけになってバスを待つ

うぃ〜飲んじゃった〜い(笑)。< ま た か !
今日は東北を南から北に縦断しましたが、陸前高田で東京行きのバスを待つことにしました。
状況によっては、その先の盛でも、その前の気仙沼でもよかったのかもしれませんが、前者はバスに乗れない可能性を考慮して、後者は少し早いし、岩手県(要は陸前高田)には行きたかったので、こうなったわけです。
久しぶりに(サッカー観戦以外で)東北に行きました。2021年にやりたかった震災10年の節目で過去行ったところを訪ねる旅は概ねできたかなと思っています。当たり前ですけど、大きく変わってますね。
そして、明日は東京経由で藤枝に行ってきます。カマタマーレ讃岐に手痛い負けを食らったFC岐阜、明日の試合は絶対に勝たんとヤバいことになるぞ・・・。


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Posted by alexey_calvanov at 21:19Comments(0)

2015年05月08日

東北へ。2015④ 陸前高田の追悼施設

SHL23_1472奇跡の一本松から茶屋のある交差点を経由して、今度は旧道の駅に向かいます。

その道すがらには、津波によって折れたと思われる街路灯と思しき跡が見られました。震災の痕跡が徐々に消えていく中、この痕跡も貴重な語り部ではありますが、やがてかさ上げ工事によって消えてしまうのかもしれません



SHL23_1467旧道の駅のそば(道向かい)には、セルフのガソリンスタンドがあります。当時の記憶を薄れさせまいと、被害に遭ったままの看板をそのまま掲げ、かつ当時ここまで津波が来たことを示す看板も取り付けられました。その高さは15.1m。この看板すれすれまで届いたことになります。
ちなみに、このセルフスタンドは、営業時間を縮めながらも元気に営業中(震災前は24時間営業を行っていたらしい)



SHL23_1463そして、旧道の駅に着きました。
近くには追悼施設が建てられています。



SHL23_1464この施設の中には墓標代わりの慰霊碑が立てられています



SHL23_1465追悼施設の隣にあるのは、石川啄木没後百年記念碑

実は、石川啄木の記念碑は高田松原の頃からありました。というのも、石川啄木が高田松原を訪れたことを記念して歌碑が設置されていましたが、震災の津波によって流出してしまいました。この記念碑は2013年に高田松原に置かれる予定だったのですが、復興工事の進捗状況を鑑みて、復興公園が完成し移設できるまでの間、ここに仮置きされているとのことだそうです。

ちなみに、津波で流された句と今回据えられた句とは違うものだそうです。この歌は「一握(いちあく)の砂」から採られたものです。



SHL23_1469こちらは、追悼施設の隣にある「陸前高田復興まちづくり情報館」看板は陸前高田の松を使い、字は地元の高校生の書道部の方が書いたものなのだそうです。
中は、復興までの道のりや、これからの復興計画などが展示紹介されています。
もう少し引きで撮っておくべきだったと少々後悔。



SHL23_1462そして。こちらが旧道の駅。正式名称は「道の駅高田松原」で、愛称は「陸前高田シーサイドターミナル」および「タピック45」
津波により、壊滅的な打撃を受けた施設の一つです。



SHL23_1470中は今でもその時の惨劇を残し、施設に突っ込んできた松の木も敢えてそのままにしてあるのだそうです。



SHL23_1471この旧道の駅のそばには、周辺に植えられていた松の木の根が残されています。津波で流されたものや工事の際に掘り起こしてきたものなどが、ここに置かれているのです。
この松は先述の「陸前高田復興まちづくり情報館」にも置かれているのですが、改めて見て、津波の恐ろしさと破壊力、そして朽ち果てた松があの時の状況を語っているかのように、じっと座しているその姿を見て、言葉が出て来なくなりそうでした。もう松の姿を見ただけで、いかに大変だったのかがわかるのですから・・・。



そうこうしているうちに、バスの時間まで30分くらいになったので、茶屋に寄って土産を買い、バス(BRT)に乗って、元来た道を帰って行くのでした。17時過ぎに現地を出て、仙台に戻って来たのは20時過ぎ。新幹線を使っても3時間ほどかかるのですから、思った以上に遠いんだなと再認識(ちなみに、仙台から陸前高田まで約150km)。


今日はホテルに泊まって、明日のために策を練ることにしました。何せ行き当たりばったりでしたから(苦笑)。


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Posted by alexey_calvanov at 23:24Comments(0)TrackBack(0)

2015年05月07日

東北へ。2015③ 陸前高田、奇跡の一本松

JR気仙沼駅からBRT(バス・ラピッド・トランジット)に乗って30分くらいで、奇跡の一本松に着きました。
この奇跡の一本松は駅(バス停)名にもなっており、そばには茶屋(道の駅の代わり)があります当初は駅も含め夏期のみの営業だったのですが、来場者が多く押し寄せたため、通年営業になったそうです。その影響か、駅も臨時だったのが季節営業となり、そして常設と変遷をたどっていきました。ちなみに、山の上にある陸前高田仮設市庁舎そばの陸前高田駅から向かうと30分ほどかかるため設置されたといういわれがあります。

実は私、その事実を知らなくて、切符を買った時も『陸前高田』と言って買ったんですわ(苦笑)。90円ほど違ってくるんですけど、買ってしまったものは仕方がない。


SHL23_1446その奇跡の一本松周辺では、大規模な復興工事(主にかさ上げ工事)が行われており、縦横無尽にパイプ(中にベルトコンベアーが入っている)が張り巡らされておりました



SHL23_1447その盛り土が結構な高さになっているのは、周りのものと見比べてもわかるかと。



SHL23_1456そのパイプの一つで、「希望の架け橋」と名付けられた土砂運搬橋
川向かいの今泉地区というところから土砂を採掘し、この橋を経由して高田地区の随所(一部は今泉地区のふもと)に流してくれますこの土砂も超大型のショベルカーで削り採っているため、5年以上かかる工期の短縮に貢献しているのだとか。



SHL23_1473こちらが陸前高田・奇跡の一本松周辺の地図(経路図)
今回は奇跡の一本松の方に向かいます。



SHL23_145020分くらい掛けて歩くと現れてくる奇跡の一本松。



SHL23_1451・・・足掛け3年、遂に奇跡の一本松にたどり着けました
大雨の中、対岸越しでしか見られなかった奇跡の一本松をまじまじと眺められ、深い感銘を覚えたのは言うまでもありません。
陸前高田の復興の象徴として、震災の証言者として、いつまでも残ってほしい。そう願わずにはいられない。



SHL23_1453その隣には、やなせたかしさんが遺したモニュメント「ヒョロ松君」があります。
奇跡の一本松に感銘を受けたやなせさんがデザインしたもので、地元の社会福祉団体がモザイクタイルで製作したものです。やなせさんは、踊りと歌も遺してくれたとのこと。



なお、奇跡の一本松周辺は夕方5時までしか向かえない(夜間は橋の前で止められる)ので、できるだけ早めに向かうことをオススメします。


SHL23_1460それ以外の時間帯は、道すがらにある展望台から眺めることになります。
将来的に、かさ上げの一部に組み込まれることもあり、急峻で階段もご覧の通りかなり急です。足に自信がない人は、つまづきかねない高さです。



SHL23_1458ただ上がっても、現状はベルトコンベアーの入ったパイプに邪魔されてよく見られないふうになっております。ゆえに、早く行って現物を近くで拝む価値があるのです。



SHL23_1457ただ、この展望台は、復興工事の概要が書かれたボードが設置されているので、この復興のロードマップを知ることができ、かつ陸前高田の復興の進捗状況もわかる貴重な場所ではあります。



本来ならすぐにバスに乗って仙台に帰るつもりだったのですが、ここまで来たら、えーいままよという感じで次のバスまで待つことに。実際次のバスまで待っても大丈夫な設定にはしていたわけですし。


残った時間は十分にあるので、今度は東側にある旧道の駅に向かうことにしました。


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Posted by alexey_calvanov at 23:01Comments(0)TrackBack(0)

2015年05月02日

陸前高田にやって来ました

帰りのバス待ちでまだいるのですが、とにかく圧巻でした。数年越しの訪問が叶ったと同時にこれからまだまだ大変なんだということを痛感させられ、震災復興はまだ終わっていないことを再認識させられました。

そして、まだ東北は肌寒い。名古屋辺りは春真っ盛りといったところですが、今回訪れた陸前高田は春これからといったところでしょうか。頬に伝う風、まだ冷たし。
・・・とはいうものの、同じ東北でも福島は盆地だからか29℃を叩き出しているわけだが(苦笑)。


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Posted by alexey_calvanov at 16:59Comments(0)TrackBack(0)

2013年03月11日

3.11 東日本大震災について話そう

もう震災から2年経つんですね。
メディアなどでは風化の心配が起こり始めていると訴えています。また住民の中には、見たくない・悪いことは思い出したくないという理由で震災遺構の取り壊しが起こっています


正直風化というのは起こるべくして起こるというものです。しかし、あれほどの未曾有の出来事、被害は無くとも相当な揺れを感じた場所も多かったと思うのです、が起こっているにもかかわらず、のど元過ぎれば・・・となってしまっているのがとても情けなく感じていますたとえ仕事で忙しくて黙祷ができなくても、常にこの日があったことだけは忘れてはいけないと思います。

私達がこれから必要なことは、防災意識だけではなく、風化との戦い。つまりは、あの日何が起こっていたのか、震災を体験した人達が今こそ率先して語ってほしいのです。辛い経験を掘り起こすことになるのかもしれませんが、私達が聞かなければならないことは、その辛い経験から自らを身を守るための教訓を得るためなのです。
そして、私達は被災地が抱えている問題をもっとよく知る必要がありますこの中で挙がってきた問題が将来我々に降りかかってくるのかもしれないのですから・・・。

そして、何より目を背けてはいけないのが原発問題です。いまだ廃炉にどころか放射能との戦いが巻き起こっています帰りたくても帰れない人達がまだまだ大勢いるのです。そのことは決して風化させてはいけない出来事なのです。原発をどうするのかを改めて考えるべき時ではないのでしょうか。またこういう人達を増やしてしまうことになってもいいのか。逆にこの『人柱』を教訓にして、より安全な原発事業を起こすのか・・・


今年も5月に東北に行く予定です。まだどこに行くか具体的には考えていませんが、間違いなく行きたいところがあります。

まずは宮城県石巻市ようやくリニューアルした石ノ森萬画館に是非とも訪れたいです。そしてできることなら、「がんばろう石巻」という立て看板の建っているあの場所に行ってみたいです。どうもそのあたりが区画整理で公園になるとのことらしいので、区画整理が進む前に見ておきたいところだなと思っています。

また前回は近くまでしか寄れなかった岩手県陸前高田市の奇跡の一本松に行ってみようと思います防腐処理の行われた後の松ですが、もう一度見に行きたいと思っています。
そして、岩手県はもう少し沿岸を回ってみたいと思っています三陸沿岸域になると思いますが、できるだけ色々な場所を回ってみたいです。


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Posted by alexey_calvanov at 23:25Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月07日

1年経った被災地を巡る 陸前高田 -仙台から150km-

陸前階上(はしかみ)駅そばにあるタクシー停留所から気仙沼駅に向かう。
ところどころ震災の爪痕がまだ生々しく残っているものの、概ね市街地に関しては復旧している感じだった。タクシーの運転手いわく、このあたりは鉄骨(やコンクリート)の建物が多かったからじゃないかと。しかしながら、その市街地でさえも数mの津波が押し寄せたというのだから、そのすさまじさに閉口しっぱなしだった。


タクシーが気仙沼駅に着き、岩井崎から乗り損ねたバスの時間分はカバーできたここから岩手県交通のバスに乗って、陸前高田へ・・・と思っていたその時、再び思っても見ないことが起こる。
気仙沼駅より100mも歩かないところに停留所があるのだが、その停留所には「大雨の影響で、今日のバスの便(注:1日2便しかない)は上下線とも運休」の旨の張り紙が・・・。これは宮城交通のバスにも言えたことなのだろう。


困った。完全に当てが外れた。
でも何とかして行きたいと思い、困った時にはタクシーの運転手・・・とばかりに相談をしてみることに。
価格面では微妙なところ(片道でおよそ6500円)だが、もしかしたら二度と見られない可能性があるとなると、この金額でさえもケチるのが惜しい。清水の舞台から飛び降りる感じで、その運転手にお願いすることに。

この方が非常にいい方で、気仙沼の状況等々詳しく教えてもらいました。運転する道すがら、ここはああだった、ここは夏の間はヘドロが悪臭を放って大変だった、このあたりが火災に遭ったところだ等々本当に懇切丁寧に語って下さいました。この場を借りてまず御礼を申し上げておきたいです。ありがとうございます。


ISW11F_0267先程、気仙沼市街は概ね復旧していると言いましたが、唯一市街地の中でも復興が立ち遅れているのが、鹿折(ししおり)地区
震災以降起こっている地盤沈下の影響で、満ち潮になったり、今回のような大雨が降ると、あっという間に周辺が水浸しになってしまう。状況によっては道路も冠水するらしい。



ISW11F_0268そして鹿折地区で最も目を引くのがこの漁船
これも震災の津波で打ち上げられた漁船の一つ。これを見るたびに震災の津波の恐ろしさを肌で感じざるを追えない。
ちなみに、この日は鹿折地区の住民がこの船の周辺にひまわりの種を撒いて、彩りを取り戻そうという活動を行っていました(もっとも、それを知るのはその日の夜のNHKのローカルニュースだったのですが)。



鹿折地区から気仙沼バイパス(国道45号)を経由して陸前高田に向かうのですが、その道すがらで海岸側の国道45号が通行止めになるなど嫌な知らせが道路の掲示板で入ってくる。本当に否が応にも入ってくるので、先行きが不安になる。
その不安が的中するかのように、1つ目のトンネルを抜けると雲行きが怪しくなり、2つ目のトンネルを抜けると、謀ったかのように打ちつける雨。その雨が車で走っていると打ちつけるほどのもの。普段ならそう大したことないないと思っていたのかもしれないが、被災地でこの雨に遭うと、少々心配になる
しかしながら、山一つ越えるだけでこうも天候が変わるのかと、改めて天候の変わり方の速さに驚く。

やがて、国道45号の通行止めの知らせが飛び込み、嫌な予感が当たったとは思いつつもここじゃないだろうと、互いにこの知らせはウソであれと思っていたのだが、数百m走っていると、丁度パーキングエリアっぽい簡易休息所になっているのだが、そこから追い返される車の数々。そう、ホントのことだったのだ。
タクシーの運転手が交通整理員の人に何とかならんかと交渉して頂き、何とかその先に行けることに。


ISW11F_0276この写真ではわかりにくいかもしれないが、丁度陸前高田の市街地に入ろうとする道が冠水(恐らく川の水があふれ、橋が渡れなくなっているのだろう)してしまったらしい



ISW11F_0269それでも、奇跡の一本松から数百mのところまでは寄ることができたのは何とも奇跡なのかもしれない
左側にあるのが、恐らく陸前高田ユースホステル。



ISW11F_0270近くにある中学校。
津波でやられたとはタクシーの運転手の話。



ISW11F_0274この日は本当に激しい波しか見ていない。
近くの防波堤や水門に激しい波が叩きつけているのだ。まだいたぶるのか、まだいたぶるのかと波に対してどうしようもない憤りのようなものを覚えてしまった自分が悲しい。



ISW11F_0275周りの波風に揉まれながらも、生き残った一本の松。最早死に体になっている一本松は、この激しい風雨にも何も言わずに耐えている。
あの日、仲間達は全て波にさらわれ、自らはもはやこれまでの状態になりながらも立っているこの松は、この町に住む住民達の心情と重なるものがあるのかもしれない。彼らにとっては、たとえ無くなってもいつまでも支えてくれるだろう。そして、一本松の子孫達が、いつか海岸線を埋め尽くすほどに育ってくれることを願って、陸前高田を後にする。



本来なら、市街地の様子と名古屋市の支援というのがどう役に立っているのか、市民の一人として見に行きたかったのだが、市内には全く入れなく残念至極である。


ともあれ、当初の目標を達せられたのには変わりない。その点においては、今回ここまで連れて行ってくれたタクシー運転手には改めて感謝したい


そんなタクシー運転手とは、気仙沼駅でお別れ。
その後は、遅い昼食を食べ、時間になるまで気仙沼駅で待機
お土産や間食を近くのキオスクで買う。とにかくそこで入り浸れるほど重宝させてもらった
入り浸れると言えば、駅構内ではNHKが流れており、たまたま日本ハム×オリックスの試合がやっていたので、これがまたいい時間潰しにもなった
JRに関してもほぼ動いていたのだが、気仙沼線に関しては大雨で鉄橋が冠水したため半日動かなかったらしい14時台に動くはずだった電車は16時台になってやっと動き、その後きちんとダイヤ通りになったのかはわからない。というのも、その約30分後にはバスに乗って仙台に戻ったからだ

仙台に着いたのは19:24。色々寄ってホテルには20時頃。この後寝オチし、夜中に起きて晩ご飯を食べ、翌日の準備をしながら1日を過ごすのだった。


次回は2日目の様子を書いていきます。


いっぽんの松いっぽんの松



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Posted by alexey_calvanov at 23:25Comments(0)

2012年05月03日

再び東北へ・・・

大型連休真っ只中、明日(5/4)と明後日(5/5)、約1年ぶりに東北に行って参ります


去年は震災直後というのもあって、仙台と石巻だけでしたが、今年は、前にも書いた通り、仙台を軸に気仙沼・南三陸・石巻、そして陸前高田に行って来ます
2日間というスケジュールでは、どう頑張ってもこれが限界でしたね・・・。公共交通機関が寸断されていると言ってもいい現状、代行バスだけでは限界があるということをスケジュールを夜中に組んでいた際、まざまざと感じさせられました。

大きな目標としては、陸前高田の現状を見たかったのといつ無くなるかわからない奇跡の一本松をこの目で見ておきたかったこと、気仙沼・杉ノ下地区にあるという慰霊碑や全壊になってそのままになっている南三陸町役場をこの目で見ておきたかったこと、そして1年経った石巻を訪ねたかったという点でしょうか。
天候がまだまだ思わしくないかもしれないとのことですが、せめて寒くてもいいから雨じゃなく曇りであってほしいと心から願うばかりです。


・・・え、この時間に何で書いてるのかって?それに気付いたあなたは鋭い。その下りはまた後日にでも。


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Posted by alexey_calvanov at 21:55Comments(0)TrackBack(0)

2012年04月23日

2012年の大型連休の計画を練り始める

今年も大型連休(ゴールデンウィーク)が近付いてきました。
今年は大型連休が前半3日、後半4日という編成になっているので、上手く有給がもらえれば9連休となるようで・・・。まぁ、関係ない話ですが(苦笑)。


とりあえず、今回は後半の4日間のうち2日間(夜行で乗って帰るので実質3日間)使って回っていくつもりです。
その回っていくところは、東北の被災地、特に被害が甚大だったとされる陸前高田・気仙沼・南三陸の3ヶ所と昨年回った石巻の計4ヶ所です。
ホントは行きも夜行バスで回って行ければよかったものの、既に完売状態。仕方なく、今回は岩手県の花巻市から入ることにしました。いわて花巻空港からならば、一関市まで新幹線で乗っていかなければならないものの、宮城県気仙沼市や岩手県陸前高田市にも一気に回れるようになる・・・んですけど、その接続の悪さと、接続できてもギリギリな部分もあるため、正直今回はかなりの綱渡り。そのため、今回だけは慎重に調べてスケジュールを組み立てて動くことになりました


初日で陸前高田市・気仙沼市を回って仙台市に。2日目で南三陸町と石巻市を回って仙台市に帰るという予定で動きます。

陸前高田では一本松を、気仙沼では杉ノ下地区に行って来て慰霊碑を見に行って来ます(気仙沼に関しては市街地を回れる時間ができそうなので、それなりに見て行けそう)。
南三陸では津波で壊滅的打撃を受けた町役場を見て参ります。あれほどまでの衝撃を生で見て、津波のすさまじさを感じてくる予定です。
石巻に関しては、去年見に行った石ノ森萬画館周辺を見に行きたいと思っています。ただ30分ほどしか滞在できないので、正直どこまで見て行けるのかわかりません


被災地を見て、現状を噛みしめ、復興が進んでいるのかを実際に見ていこうかと思います。


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Posted by alexey_calvanov at 23:56Comments(0)TrackBack(0)