2015年05月08日

東北へ。2015④ 陸前高田の追悼施設

SHL23_1472奇跡の一本松から茶屋のある交差点を経由して、今度は旧道の駅に向かいます。

その道すがらには、津波によって折れたと思われる街路灯と思しき跡が見られました。震災の痕跡が徐々に消えていく中、この痕跡も貴重な語り部ではありますが、やがてかさ上げ工事によって消えてしまうのかもしれません



SHL23_1467旧道の駅のそば(道向かい)には、セルフのガソリンスタンドがあります。当時の記憶を薄れさせまいと、被害に遭ったままの看板をそのまま掲げ、かつ当時ここまで津波が来たことを示す看板も取り付けられました。その高さは15.1m。この看板すれすれまで届いたことになります。
ちなみに、このセルフスタンドは、営業時間を縮めながらも元気に営業中(震災前は24時間営業を行っていたらしい)



SHL23_1463そして、旧道の駅に着きました。
近くには追悼施設が建てられています。



SHL23_1464この施設の中には墓標代わりの慰霊碑が立てられています



SHL23_1465追悼施設の隣にあるのは、石川啄木没後百年記念碑

実は、石川啄木の記念碑は高田松原の頃からありました。というのも、石川啄木が高田松原を訪れたことを記念して歌碑が設置されていましたが、震災の津波によって流出してしまいました。この記念碑は2013年に高田松原に置かれる予定だったのですが、復興工事の進捗状況を鑑みて、復興公園が完成し移設できるまでの間、ここに仮置きされているとのことだそうです。

ちなみに、津波で流された句と今回据えられた句とは違うものだそうです。この歌は「一握(いちあく)の砂」から採られたものです。



SHL23_1469こちらは、追悼施設の隣にある「陸前高田復興まちづくり情報館」看板は陸前高田の松を使い、字は地元の高校生の書道部の方が書いたものなのだそうです。
中は、復興までの道のりや、これからの復興計画などが展示紹介されています。
もう少し引きで撮っておくべきだったと少々後悔。



SHL23_1462そして。こちらが旧道の駅。正式名称は「道の駅高田松原」で、愛称は「陸前高田シーサイドターミナル」および「タピック45」
津波により、壊滅的な打撃を受けた施設の一つです。



SHL23_1470中は今でもその時の惨劇を残し、施設に突っ込んできた松の木も敢えてそのままにしてあるのだそうです。



SHL23_1471この旧道の駅のそばには、周辺に植えられていた松の木の根が残されています。津波で流されたものや工事の際に掘り起こしてきたものなどが、ここに置かれているのです。
この松は先述の「陸前高田復興まちづくり情報館」にも置かれているのですが、改めて見て、津波の恐ろしさと破壊力、そして朽ち果てた松があの時の状況を語っているかのように、じっと座しているその姿を見て、言葉が出て来なくなりそうでした。もう松の姿を見ただけで、いかに大変だったのかがわかるのですから・・・。



そうこうしているうちに、バスの時間まで30分くらいになったので、茶屋に寄って土産を買い、バス(BRT)に乗って、元来た道を帰って行くのでした。17時過ぎに現地を出て、仙台に戻って来たのは20時過ぎ。新幹線を使っても3時間ほどかかるのですから、思った以上に遠いんだなと再認識(ちなみに、仙台から陸前高田まで約150km)。


今日はホテルに泊まって、明日のために策を練ることにしました。何せ行き当たりばったりでしたから(苦笑)。


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Posted by alexey_calvanov at 23:24Comments(0)TrackBack(0)