2017年09月08日

今年3人目の2000本安打

今日行われた阪神タイガース×横浜DeNAベイスターズの一戦で、鳥谷敬選手がライト線へのタイムリー2塁打を放ち、通算2000本安打を達成しました。


鳥谷選手は、2003年のドラフト会議の自由獲得枠で早稲田大学から入団。1年目からレギュラー争いに関わり、開幕7番ショートでスタメン出場を果たしたばかりでなく、プロ初安打も放っています。そして、その年の9月から一度も休まずに途中交代や途中出場を挟みながらも出場を果たしていました(ちなみに、連続試合フルイニング出場は667試合)。今日の2000本安打達成時の試合で足掛け13年(プロ生活は14年)というのですから、恐れ入ります。しかし、上には上がいて、しかもその相手が監督である金本知憲さんなので、頭が上がらないでしょうね(ニヤニヤ)。
まだ36歳。これから数年はスタメンを張っていくと思いますから、金本監督の言う「2500本まで頑張れ」というのは、あながち、無茶な記録というふうでもなさそうだ(苦笑)。


それにしても、今年は2000本安打の当たり年ですね。
中日の荒木雅博選手を皮切りに、巨人の阿部慎之助選手と続いてきました。日米プロリーグの通算安打記録も含めるなら、ニューヨークメッツに在籍している青木宣親選手も2000本安打を到達しています。日本プロ野球だけなら3人目、日米通算記録なら4人目になるんですね。これだけ出るのは2013年以来(その時の達成者は、ラミレス・中村紀洋・谷繁元信・井口資仁で、井口選手のみ日米通算記録)ですね。


実は、この後には内川聖一選手や福浦和也選手も控えているのですが、内川選手はケガの影響でシーズン終了までに達成できるのか微妙な状態ですし、福浦選手は主に代打での出場になってしまっているので、今年での達成は厳しいでしょう。もう1人くらい見られるとうれしいんですけどねぇ・・・。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  

Posted by alexey_calvanov at 22:16Comments(0)

2016年04月26日

辛い時期を乗り越えて、2000本安打達成

広島東洋カープの新井貴浩選手が、今日行われたヤクルト×広島で2塁打を放ち、通算2000本安打を達成しました。


新井選手は1998年にドラフト6位で入団。新人だった1999年から試合に出場するようになり、2002年にはオールスターに初出場を果たしています。成績には波があったものの、2005年には本塁打王を獲得し、広島の主力として活躍しました。


転機となったのはFA宣言を行った時。
かつて同僚だった金本知憲阪神タイガース監督が同球団にFA宣言して移籍したことを受けて自身もFA宣言をし、阪神に移籍することになりました。記者会見の際に涙ながらに広島への思いを述べてたのが印象的だった人も多いことでしょう。この時述べた「辛いです」がきっかけで、新井選手のことを『辛いさん』と呼ぶネットスラングが定着し、スポーツ紙なども使用する彼を差す代名詞と化しています(苦笑)。
阪神時代には、相次ぐケガでスタメンから外れることも多かったものの、2010年からは中日ドラゴンズにいた弟の新井良太選手と共にプレーすることになりました。そのことが刺激になったのか、2011年には打点王に輝いています。『飛ばないボール』と揶揄された年の打点王ですから、非常に価値のあるものだと私は思っています。しかしながら、先述のケガの影響で思った活躍ができず、世代交代や新外国人選手とのスタメン争いに押し出される格好で2014年には自由契約になりました。


その新井選手を欲しいと手を挙げたのが、古巣の広島。右の長距離打を打てる選手獲得に動いていた中で獲得することになるのですが、年俸が阪神の提示額より低かったにも関わらず即決で入団を決めたようです。色々あったけれども、故郷の球団である広島に、阪神にいた時でも愛着があったと述べているくらいですから、この機会を逃さまいと思ったのかもしれません。
広島に復帰した当初は、スタメンは確約されていなかったものの、徐々に存在感を表し、開幕前にスタメンを内定(ケガで立ち消えにはなった)され、その後も4番に座る時期もあって、若手の多い広島には無くてはならない存在になりました。彼の復帰が呼び水になり、黒田博樹選手も広島に帰ってきています
そして、残り29本になっていた安打数を少しずつ積み上げ、今日2000本安打を達成。今日は2安打だったということで、通算安打数は2001本(今シーズンの安打数は30本)となりました。実は現役選手では2位(1位は楽天イーグルスの松井稼頭央選手の2044本(4/25現在))の新井選手、長距離ヒッターではあるものの、ケガもせず安打を放つことに集中すれば、松井選手の安打数を抜いてトップに立てるのではないかと思います。しかしながら、まずは先輩で監督としてもお世話になった野村謙二郎さんの通算安打数(2020本)を超えることが最初の目標なのではないのでしょうか。それを越えたら、幾度のケガを乗り越え活躍した前田智徳さんの通算安打数(2119本)を目標にして、今シーズン頑張ってほしいものです。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:34Comments(0)TrackBack(0)

2015年06月11日

輝く男、2000本安打達成

中日の和田一浩選手が2000本安打を達成しました。谷繁元信選手兼任監督を抜く史上最年長での達成になりました。ちなみに、この日は3安打の猛打賞も獲得し、大暴れの1日となりました。


和田選手は1996年のドラフト会議(4位)で西武に入団。入団当時は捕手として期待が寄せられていたものの、正捕手で現在ロッテ監督の伊東勤さんと現在も日本ハムで選手兼任コーチを務める中島聡さんが在籍していたことで捕手としての実績はあまり挙げられず、2年目からは外野手も務めることになりました。思えば、この時外野手の経験を積んでいたから、長いことやれたのではないかとも思います。
和田選手は、2000年頃から徐々に活躍していたものの、まだその時は外野手と捕手の兼業選手という位置付けでした。

その和田選手に転機が訪れたのは2002年当時の監督の方針で外野手一本で行くこととなり、そのことで成績が安定。西武のクリーンナップの一翼を担うことになりました。なお、西武時代にはアテネオリンピック日本代表・2006 WBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表として出場経験もあります。

2007年にフリーエージェント宣言をして、地元(和田選手は岐阜県出身)の中日に入団。中日時代にも、西武時代同様、クリーンナップの一翼を担うようになりました。ただ、年齢による衰えなのではないかと思われた時期もあり、2011年にはバッティングフォーム改造をきっかけに不調に陥り、視力の低下などで2軍落ちも経験しました。それでも数多くの記録を作り、300本塁打(2014年)・1000打点(2014年)・近鉄を含む13球団から本塁打(2009年)を記録し、2014年に社会人野球経験者では古田敦也さん・宮本慎也さん以来3人目となる2000本まであともう少しというところで、ケガのため残りの試合を棒に振り、今年こそ記録達成・・・というふうになっていました。
ところが、和田選手は調子が上がらないということで、開幕スタメンから外れ、最近まで2軍での調整を余儀なくされました谷繁選手兼任監督いわく本調子になるまで使わないとのことだそうで、和田選手も我慢の日々というふうだったことでしょう。
1軍に上がってからは、八面六臂の大活躍。普通は記録達成前というのはプレッシャーで押しつぶされるものだと言われていたのに、スイスイとヒットを打ち積み重ねていきました。そして今日、2000本安打達成となったのです。


社会人まで経験してここまで積み重ねてくるのは、並大抵の努力ではできないことです。それは古田さんの時でも宮本さんの時でもそう思えたほどですから。だからこそ、今後もケガ無く1打席1打席を大切にして試合に臨んでもらいたいものです。
今後は2000試合出場達成も控えています。こちらもできることなら今シーズンで達成してほしいですね。


最後に、2000本安打達成おめでとうございます。


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ  
Posted by alexey_calvanov at 23:03Comments(0)TrackBack(0)