大リーグ、フロリダ・マーリンズのイチロー選手は、日本時間の今日行われたコロラド・ロッキーズ戦で1番センターで出場し、第4打席でフェンス直撃の3塁打を放ち、大リーグでの3000本安打を達成しました。日本のプロ野球で言うところの2000本安打にあたるこの成績、実際アメリカでも特別なものとして扱われ、「3000本安打クラブ」という呼ばれ方で、達成者に敬意を表しております。また、この3000本安打達成で、アメリカの野球殿堂入りは確実とも言われています(過去3000本安打を放って殿堂入りできなかったのは、殿堂入り対象になっていないデレク・ジーターさん、現役選手(2016年8月8日現在)のイチロー選手とアレックス・ロドリゲス選手以外では、野球賭博に関与したとされるピート・ローズさんと禁止薬物を使っていたとされるラファエル・パルメイロさんだけ)。
ちなみに、3000本安打達成者は30人目。27歳からの3000本安打達成は史上最遅、でも16年で達成は史上最速だそうです。そして他のリーグから来た選手が達成したのは史上初だそうです。またリッキー・ヘンダーソンさんを抜いて近代野球(1900年以降)では最も遅い記録(42歳290日)になりました。
イチロー選手は1991年オリックスにドラフト4位で入団。当時は変わり者の選手としての評判しかなく、ジュニアオールスター(現:フレッシュオールスター)でホームランを放つ活躍が話題になっただけの選手でした。
転機になったのは、仰木彬さんが監督に就任した時。登録名をイチローに変え、さらに「振り子打法」の完成で1軍に定着。面白いようにヒットが決まり、この年には打率・最多安打(130試合制では唯一の200本台(210本))・最高出塁率などを獲得し、MVPにも史上最年少で選ばれました。
以降大リーグに行くまで1番や3番で活躍し、数多くの賞を受賞しています。
2000年にポスティングシステムでシアトル・マリナーズに入団すると、2001年から大方の予想を覆してヒットを量産(その際、タイミングを合わせるという理由で「振り子打法」を封印)。27歳でありながら新人王を獲得、同時に首位打者・MVPに輝いたのです。以降、2010年まで10年間200本以上の安打を達成(2004年にはシーズン最多記録の262本を達成)しています。
2012年にはシーズン途中にニューヨーク・ヤンキースに移籍したものの、年齢から来る衰え(と思われるもの)とヤンキースというブランドがプレッシャーになったのか、思うような活躍ができず、2015年には現在所属するマーリンズに移籍します。ただ、そこでも不遇というのか冷や飯というのか、『第4の外野手』として控えに甘んじることが多くなり、試合に出場しても代打ないしは守備固めの扱いになり、シーズン安打数も100本を切っています。ただ、随所に見せるイチローらしいプレイは年齢の衰えを感じさせないほどです。
とにかくすごいのは、日本時代にはそれなりにケガをしていたのに、大リーグに行ってからはケガがなく、故障者リストにはほとんど入っていないほど頑丈な身体作りでしょうか。もちろん、ルーティンを大切にしているなど、普段から意識した野球生活を送っていることも重要だと思いますが。
そんなイチロー選手も、ここ7試合11打席ヒットが出ず、誰にも会いたくないと心境を吐露していたのは意外でした。精神力の強い選手だと思っていたので、達成後に流していた涙やインタビュー時の目を真っ赤にした姿もWBC(ワールドベースボール・クラシック)では見せていなかっただけに、これまた意外でグッとくるものがありました。やはりイチローも(野球の)神の子ではなく人の子だったんだと思わされる瞬間でした。
さぁ、今後はどこまで記録を伸ばせるかに掛かってくるでしょう。もうプレッシャーにおびえることなくのびのびとプレイしてほしいです。さすがに4000本や4256本突破は苦しいかもしれないですけど、50歳までプレイできる息の長い選手になってほしいですね。