
志津川駅といっても、もう何も残っていない。
それが駅とわかるのは、高架上にある駅のプラットホームのみだ。それ以外では、プレハブで作られた仮設の待合所とバス停、津波で残った駅関連の施設、そして、仮設トイレ。
この仮設トイレには一過言あるのだが、ここで書くのは少々はばかられるので、「続きを読む」に書いていこうかと。

日本赤十字社の支援で運営されているもの。JR代行バスを乗り継ぐために、到着およそ10分くらい前に着いたもの。

そのホームに立つ。上り・下りのあるホームになる。
写真は柳津駅方面を撮ったもの。


先日の大雨で辺り一帯が水浸しになっている。恐らく田畑ではないはずだ。

辺りは何もなく、残っていてもほとんどが骨組みだけ。写真やや左側にある低い骨組みだけ(平屋か2階建てと思われる)の建物は、上れるようになっていたようで、親子が残っていた階段を利用して屋上にあたる部分に上っていた。
さらに左端の方には、防災対策庁舎が見える。右側には公立志津川病院跡が。
高台に立つと、本当に何もないことがよくわかる。悲しくてやりきれない。
11:05にバスが来る予定だったが、数分ほど遅れて到着。
しかし乗っていたのは、私と近くの高校に通っていると思われる女子高生の2名のみ。その女子高生も陸前横山駅前にあるバス停で降りてしまい、終点の柳津駅まで乗っていたのは私だけ。
土休日運行ゆえのものなのか、平日でもこういう状況なのかはわからないが、この状況が続いてしまえば、ただでさえ少ない昼の便はさらに削られてしまうのだろう。
今の南三陸町では正直何もできないのが現状だが、もし訪れるなら、車でではなく代行バスのような公共交通機関で来てもらいたいものです。
その後、柳津駅で今回唯一のJR(鉄道)に乗り、最終目的地である石巻に向かうのであった。
次回は石巻の話をしていきます。

